便利になればなるほどより幸せになるだろうか?



私は現金で買い物をしている。

先ほどローソンでエルキチ竜田を買ったところ、私がたくさん小銭を出したが故に店員の女子大生らしき子がテンパってしまった。



そのおかげで会話が生まれ、私は幸せな気持ちになった。

この喜びはカード払いでは生まれなかったであろう。



まあその女子大生が美人だったからこんなことを書いているんだろう、と言われればそれは否定しないが、なにかを「より良く」したとて喜びが増大するとは限らないのだ。



より良く、より良く…

人類はこの思想に取り憑かれているが、それが幸せをもたらさなかったのは歴史が証明している。

私が提案する幸せは刑務所の中の無期懲役囚人、死刑囚人でも得られるものだ。



いやむしろ、彼らにこそその幸せを享受できるのかもしれない。

なぜなら彼らは「いずれ」「明日こそは」幸せになるなどという望みを抱きにくいからだ。



よく言われている「いまここ」というのは本当にいまここなのだ。

いつもと同じ部屋、空調の音、寝心地の悪いベッド…

そっくりそのままを受け取るなら、それは幸せになりうるのだ。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ