ウクライナに自衛隊を派遣するらしい。

とは言っても物資の支援などがメインで戦線に駆り出されるわけではない。



戦争というのは国家や組織の間で行われるものではあるが、厳密にそこにあるのは個人の集団だ。



一人の人間が銃を持ち、人を撃ち、戦車を操縦し、地雷を置く。

もし個々人に知性があって、人を殺したくないという想いがあれば戦争は起こらない。



しかし現代人はありとあらゆる主義、主張といったイデオロギー(人生で一度は使ってみたかった言葉)、教育、信念、教育の影響でそこに個人的な知性というものを失っている。



誰かが殺せと言えば殺すし、「これはウクライナのためになる」「ロシアは悪者だから殺してもいい」と言われればそれを信じる。



世間ではありとあらゆる「これが正しい」「これは悪い」がはびこっているが、それを確かめる術は私たちにはない。

それを踏まえて、「ではあなたはどうしたいのか?」だ。



人間にロシア人だとかウクライナ人だとかラベルがついてはいるが、そのラベルを取り除いてもその人間を殺したいのか?

銃を持ち、撃ち殺したいのか?

FPSが好きな私でもそうは思わない。



「自分が本当に世間の信条やイデオロギーに関係なくそれをしたいのか?」

を確かめる手っ取り早い手段がある。

「脳内で自分がそれをやるところをイメージする」のだ。

今回の件で言えば、脳内で自分が人を撃ち殺すところをありありとイメージする。



これは普段の生活の中でも使える。

例えばハンバーグとオムライスのどちらを食べるか迷うということは四六時中(?)あるだろう。

その場合は脳内でハンバーグを口に頬張って噛み締めた時と、オムライスを口に頬張って噛み締めた時をイメージするのだ。



そのイメージで心躍る方がその時食べたいものになる。

これはコンビニに行くか行かまいか迷う、どこか出かける先に迷う、といったことにも使えるだろう。



人を殺したいか殺したくないかすらわからなくなってしまった人が大勢いるのだ。

まあ殺したくないのに国民は総動員だ!なんて駆り出されることが未来のSF映画ではあるかもしれない。

私はそんな国には住みたくないが…。




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