真理とか神の探求というのは本来ワクワクするものではない。



なぜか?



それが「無」に向かうものだからだ。

宇宙の始まり以前にあったもの、「有」の前にあったもの、「マインド」ではない「ノーマインド」…。



いわゆるスピリチュアル界隈で言われる「ワクワクしておくんなまし」というのは真理のために自己を殺すための言葉ではなく、むしろ自己(思考、マインド)を活性化させる、いわば「自己啓発」という方が近い。



つまり真理の探求とは逆向きなのだ。



私は師からワクワクするように言われたことはない。

というか、ある特定の方向に向かうように言われたことがない。

なぜかと言えば、そもそも真理が特定の方向のどこかにあるのではなく、今ここにあるのだと繰り返し言われてきたからだ。



この世の中の全てのことが、「有」の方向、「自己」を活性化させる方向に進んでいる。

それはむしろ宇宙としては自然なことなのだ。

我々は「無」から生まれ出たのだから…。



私が書いているのは不自然な人たち、世の中の方向に従ってはみたものの、それでは満足できなかった人のためだ。

OSHOは100万人に1人と言っていた。

実際にどれだけの数がいるかは知らないが、その人のために書かなければならないのだろう。



別に書かなくてもいいのだが、私自身がそういった先人に助けられたこと、また意外にもネット上でもそういった本物の探求者に出会うことが起因していることはあるかもしれない。



意外といるものなのだ。

しかも私と同じ20代の若年層が多い。

世の中の多くの非知性的な大人たちを見てがっかりすることも多いが、真理の探求に赴くような知性的な人を見かけた時はその何倍も嬉しいものだ。



そういった人に手を貸している時の喜びはまた格別だしエネルギーも澱みなく出てくる。

結局は私が楽しいからやっているだけなのだろう。




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