瞑想とは座った状態でも、動いている状態でもできる。

が、その感覚を掴むためにはまず黙って坐るのがいい。



が、多くの人は坐りたがらない。

なぜだろう?



まだまだやるべきことがあるからだ。

もっと多くのお金を集め、もっと大きな家を建て、もっと多くの権力、知名度、注目、名声を得たい。



まだまだ動き足りない、遊び足りない子供のようである。

その子供たちもまたこの世界のありようであり美しさでもあるが、その子供の割合があまりにも多すぎるために今の世界の有り様があるのだろう。



もっと、もっとと求めるよう我々は教わってきたが、それが自分にとっても、世界にとっても失敗に終わったことを見抜く人が増えることを願ってやまない。やまない雨はないのだ(?)。



にほんブログ村 哲学・思想ブログへ