特別なことは何も起こらない。
私自身が神を求め、喉から手が出るほど渇いていた時に、たまたま覚者と思われる人との縁があった。
最初はなんとも神々しく見え、これこそが悟りを開いている人の姿なのだと思った。
なんか瞑想的でゆっくり動くし威厳がある…感じがする。
しかし何十回も質問する為にその人を訪ね、一緒に飯を食べたり散歩したりと過ごしていると、あらゆる面で普通なことが見えてくる。
むしろ私より普通なのだ。
私の方がよっぽど瞑想的に、優雅に、ゆっくりと歩き、動作するし、私の方がよっぽど店員に対して礼儀正しく頭を下げて丁寧な対応をする。
もしかすると最初のうちはトリガーとして覚者っぽい振る舞いをしてくれていたのかもしれないと思ったりもする。
テレビを見れば特別そうに見える人たちもいる。
私はお笑いが好きなのでよくテレビを見ているが、柔軟で、需要があって、仕事を楽しんでいそうな人ほどその繰り返しに飽き飽きしているような発言が見られたりする。
麒麟の川島さんであったり、千鳥のノブさんであったり、霜降り明星のせいやさんであったり…。
もちろん独断と偏見ではある。
毎日違うことが求められ、普通の人より笑っている人ですらそうなのだ。
世界に自分より上の人がいるなんて思わない方がいいのかもしれない。
死ぬまでこの繰り返しだし、霊的にも、物質的にも特別なことは起こらないのだ。
いわゆる世のスピリチュアルメッセンジャーがあなたより良い暮らしをしていると思うことがあるかもしれない。
が、生身で接点を持つと、失礼な話ではあるが「その暮らしで楽しいのか?私もまあまあ大した暮らしをしていないが私とどっこいではないか」とすら思ったりもする。
それでも話せば常に深刻さはなく、腹の底から笑い、ありきたりなことを楽しみ、世間に対して悪態をついている。
結局、生活環境、周りの状況など大した要因ではない、といういわゆる「覚者っぽさ」を最終的に見せつけられることになる。
今日も覚者っぽく生きよう、と思う次第である。