宇宙の始まり、ビッグバンからエネルギーの連鎖が繰り返されてきた。
宇宙が生まれ、さまざまな惑星が生まれ、地球が生まれ、海が生まれ、生物が生まれ、人間が生まれた。
人間も生まれた直後はこのさまざまな自然物と同じように宇宙と一体であった。しばらくすると自他という観念を与えられ、エゴ、自分、わたしといったものが生まれる。
それからさまざまな思考や行動も起こる。
が、このエゴの分離の錯覚も、その後に生まれる悪どい思考、非道徳的な思考、暴力行為、高尚な思考、人助け、祈り…その全てが宇宙の始まりからの連鎖で起こった、ただのエネルギー反応だ。
いわばコントロール不可能であり、言うなればその全ては神の責任だ。
今起きている戦争、今日考えた思考の一つ一つ、今までやってきた犯罪行為、今までの自分の功績…
その全てを担っているのは神だ。
今までも神のせいだったし、今この瞬間は神が望んだようにあり、これから先も神の望み通りにことが起こるだろう。
瞑想とは何か成長したり、より高尚な自分になるということではない。
むしろ今まで通りの自分でよかった、という安心感をもたらす為のものだ。
もし今のままで自分を受け入れられるのなら何のテクニックもいらない。ただ受け入れればいい。
受け入れられない人のために松葉杖としてこういったテクニックがあるだけだ。
私は瞑想を始める前、瞑想をすればもっと醒めて、意識的に、より優れて、覚者的に、ゆっくりと動き、日常の問題は燃やしつくされると思っていた。
が、10年ほど経ったが全てはそのままだ。
綺麗好きで手は執拗に洗うし、スマホゲームのFPSで負ければブチギレそうになり、外に出れば常に他人を批判し、甘いお菓子や豚肉を好んで食べ、一日中お笑い番組やスポーツ番組やゲーム実況を見ている。
何が変わったのかといえば、それらは私にはコントロールできるものではなく、ただありのままでいていいのだという理解が起こっただけだ。
それにはもちろん瞑想を全くせず、日常的に無意識であることも含む。
何も気にしないわけではない。
何かを気にすることはあるが、その気にすることすら構わなくなったのだ。
結局、今この瞬間やりたいことをやるのが一番摩擦、ストレスを感じない生き方になる。
何もしなくたっていいし、何をしたっていいのだ。
なぜなら宇宙がそう望んでいるから。
この宇宙、神にミスはない。
あなたが死ぬまでの最後の一呼吸、最後の思考の一つまで全責任は神が持つ。