最近非二元(ノンデュアリティ)の本をよく読む。
なぜか?
Kindle Unlimitedに加入していれば無料で読めるものが多いからである。
スピリチュアルなものに関心のある人にはおすすめだ。
ノンデュアリティの方たちは毎度のごとく努力、精神的修行、浄化などはナンセンスだと揶揄する。
もちろんそういった努力もこの存在のありように含まれるから、今ある努力を続けたらいい、というスタンスの方ももちろんいる。
この「あるがままでOK」ブームが今まであったように感じていたが、その結果どうなったか?
世界は美しくなったか?人々は自由に、知性的に、喜び溢れるようになったか?
世界は戦争を始め、ウイルスに蹂躙され、個々人はより批判的に、攻撃的になったと感じているのは私だけだろうか?
小中学生でもそうなったと感じる方のほうが多いのではないか?
今までのスピリチュアリズムは良い方向性に世界を導いただろうか?
個々人に喜びをもたらしただろうか?
もし今までのやり方が失敗したとしたら、また別の方向性、努力や、何かをすることの方向に舵を切ってもいいのではないだろうか?
この「あるがままでOK」のメッセージを受け入れるにはある程度の素養が必要だと感じる。
私も最初に老子の道徳経にあるような「あなたは何もする必要がない」という言葉を読んでも何も理解できなかった。
何かをする必要があると感じ、私は瞑想をし続けた。
その結果今では老子の言っていることがわかる。
「いかなる何かをする『私』も、瞑想する『私』もいなかった」と。
しかし当初の私が何回も、何千回も道徳経を読み込んでも何も起こらなかったことは明白だ。
全ての人が瞑想をする必要があるとか、何かをする必要があるということではない。
ただ、私からすればなんの方法論も、テクニックも、メソッドも必要なく真実を認識できるというのはエリートだ。
ノンデュアリティの言葉がトリガーになってそういう認識が起こるということもあり得るだろう。
ただ、その一押しだけで悟りに至るような人が今の人類にどれだけいるのだろうか?
瞑想はより大衆に理解されやすく、そのテクニック自体が喜びをもたらし、瞑想自体が人々を知性的にすると思っている。
どうにかこうにか瞑想が広まりますように(最後は無責任)。