単独で存在するものはない。



ロシアにはロシアの正義がある。

煉獄さんと同じように、プーチンにはプーチンの責務があるのだ。



それがたまたまその他大勢と一致しなかった、というだけのこと。



北京五輪でのロシアのドーピング疑惑もそうだ。

そもそもあの国の上層部は腐っているのかもしれないが、ドーピングすることによって得られるものがあったのだ。



4位には価値がなく、銅メダルには価値があり、金メダルには一番価値がある。

メダルを褒め称えて、それ以外には注目を与えないという選択を取ったのは我々だ。



高梨沙羅さんがスーツの規定違反でカメラの前で謝罪していたが、彼女が小さい頃、ただスキージャンプを楽しんでいた頃はそんな行動を取ろうとすらしなかっただろう。



我々がそれ以前に、失敗を許さず、責任感を感じさせ、結果的に我々が謝らせたのだ。



高梨沙羅さんも、プーチンも(プーチンはごめんなさいしないかもしれないが)それ自体が悪ということはありえない。

我々がそう仕立て上げた、という側面は忘れずにいたい。



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