勢多加丸の悲劇(9)人の手にかかるよりは | mojorのブログ@事件等を教訓に己を律しよう!

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当ブログはその目的を防犯および性犯罪被害への注意喚起とします。被害者・加害者両方の悲劇が事件等の教訓から少しでも減る事に寄与すれば管理者冥利につきます。

叔父である佐々木信綱は、(人の手にかかるよりはと因果を含めて自らの手で)と泣く泣く美しい甥を斬首したとする釈もあるようです。

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承久の変と佐々木一族


 

戦後の戦犯追及は厳しかった。(略)信綱は命によって兄の山城守広綱を斬る。さらに哀れであったのは広綱の子勢多伽丸で、泰時は「広綱の科は重く普通なら助けおくことは出来ないが、今はみな仏の門弟として久しいし、また十歳の孤児のことだから悪いことはすまい」と母の願いもあり、助命のつもりで身柄を信綱に預けた。ところが信綱は、兄広綱の長子惟綱、次子為綱が次々捕らえられて斬られたので、勢多伽丸も助からぬ命と思い、人の手にかかるよりはと因果を含めて自らの手で首をはねたのである(『新釈吾妻鏡』同)。

(略)

こちら ※座間の歴史(中段やや上ですが、画面検索をお勧めします。)April 4, 2002 

2021年5月9日追記

リンクが切れています。

こちら

でURLを入れて出てきた画面に日付を入れたら閲覧可能かもしれません。

追記以上

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十歳」というのは既述のように承久記にもあるよう正しくは十四歳でしょう。

 

「人の手にかかるよりはと・・・」はなにやら平家物語の敦盛を彷彿されてきます。案外、信綱も勢多伽の美しさとしおらしさに熊谷直実同様の感情を得たのかもしれません。