勢多加丸の悲劇(4) | mojorのブログ@事件等を教訓に己を律しよう!

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ただし、刑の執行を主張し執行した叔父の佐々木信綱の冷酷性に対しては次のような見解もあります。

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(略)

『承久記』は最後の場面である勢多伽丸の処刑で涙を誘うため、刑を執行した信綱を冷酷に描いているが、信綱自らが執行しなければ佐々木氏は生き残れなかっただろう。佐々木氏の乱といってもいいほど多くの佐々木一族が京方であり、京方の主力軍だったからだ。

(略)

こちら ※山城守広綱 佐々木哲学校

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それから1237年(※勢多伽君が生きていたら30歳です)に成立した奈良歌壇の代表選集「楢葉和歌集」には珍覚なる僧が勢多伽丸と道助法親王との愛と悲劇を綴った作品が載っているそうです。残念ながらweb上では見当たりませんので入手できたら追記することにしましょう。