少年愛は貴族や武士、僧侶などの特権階級だけのものではありません。
時代は下りプロレタリア文学における少年愛は小林多喜二の蟹工船 (全編)があまりにも有名です。
私は一度もこれを資本主義を告発する作品として読んだことはありません。狭い船内で性欲が鬱憤した成人漁夫らの夜這いと打算も含めそれを受忍する十四・五の少年たちとの肉感の見事な筆致がすべてです。
これを単なるマルクス主義における階級闘争の文学として限定したり現在の劣悪な労働事情に見立てたよくある見解はあまりに陳腐で皮相的だと思います。
漁夫が少年雑夫を犯すくだりの撮影感覚あふれる性描写、あるいは巧みにして人間臭い情景描写のみならず、たとえば同性愛を敵視するイデオロギーを根幹とした作品であるにもかかわらず冒頭の蟹工船出港の際の少年たちへの漁夫の卑猥な呼びかけ等に見られるような場違いの設定も秀逸です。多喜二の満足振りが行間を通して私に微笑みます。
逆に男色関連後のソ連賛美等のくだりはなんと退屈な流れでしょうか。案外、多喜二も書きながら同じように感じていたのかもしれません。
そう、多喜二は20世紀の誇るべき「退廃的な資本主義文学」の書き手としての実績もこの一冊だけで十二分に書き残しているのではないでしょうか。
(参)こちら ※『蟹工船』とゲイ・エロス
追記