ずっと引っかかっていることがある。
90年代後半から2000年代にかけて、地方の学生が県外へ進学するのは、今よりずっと重かったと思う。
家にお金がない。地元には進学先の選択肢が少ない。
県外に出るだけで、学費だけじゃなく生活費もかかる。
受験するだけでもお金がかかる。
地方の学生は、進学したいと思っても、そこにたどり着くまでの時点でかなり不利だった。
実際、県外の大学へ行くために、普通の学生生活では考えにくいような、かなり無理のある働き方をしていた子もいた。
そこまでしないと進学できない現実があった。
地方では、勉強ができるかどうか以前に、お金がないことで進学の道が細くなることが普通にあった。
しかも、学費の比較的安い国立大学に行こうとすると、今の共通テスト、昔でいえばセンター試験のような、科目数も多く負担も大きい全国一斉試験を突破しなければならなかった。
ただでさえ地方の子は、塾や予備校、情報量の面でも不利なのに、安い進学先に行くためには、むしろ大きな受験負担まで背負わされていた。
日本の学生は、こういう形で試験でも振り落とされ、お金でも振り落とされてきたのだと思う。
それなのに今は、人手不足だ、少子化だ、地方の担い手がいない、そんな話ばかり聞く。
看護、保育、介護のような必要な仕事も足りないと言われている。
でも、そうなってから慌てるくらいなら、90〜2000年代の地方の困窮した若者たちを、もっと先に支えるべきだったのではないかと思ってしまう。
あの頃、地方の学生に対して、学費免除、生活費支援、県外進学支援がもっと厚かったら、進学をあきらめずに済んだ人もいたはずだ。
その後の就職や結婚や出産まで含めて、人生そのものが変わった人もいたはずだと思う。
もしあの世代が、もう少し安心して学べて、働けて、家庭を持てていたら、その子どもたちは今ごろ高校生くらいになっていたかもしれない。
そう考えると、今の少子化や人手不足も、全部とは言わないけれど、地方の若者を十分に支えなかったことと無関係には思えない。
その一方で、今は国立大学などで海外の学生向けの給付型奨学金や支援が目につく。
もちろん、海外の学生を支援すること自体を全部否定したいわけではない。
ただ、日本人学生、とくに地方の困窮した学生は、学費の安い国立に進むにも重い受験負担を課され、その上で学費や生活費まで自力で何とかしろという形だった。
そういう現実を見てきた側からすると、自国の地方の学生が先に救われるべきだったのではないかと感じるのは自然だと思う。
地方の学生には、受験の苦労も、学費の苦労も、進学後の生活の苦労も背負わせておいて、今になって人手不足だ、少子化だと言う。
その一方で、海外の学生への支援が目立つ。
これを不公平だと感じるのは、おかしなことではないと思う。
本来なら、先に手を差し伸べるべきだったのは、そういう地方の若者たちだったはずだ。
地方の学生が進学のために無理をしなくていい社会。
必要な仕事に就くなら、せめて学費や養成費用くらいは軽くする社会。
そういう形をあの時代に作れていたら、今の日本はもう少しましだっただろう。間違いなく。
あの頃に見捨てられたような地方の若者たちの苦労を思うと、今のこの状況を「仕方ない」の一言で済ませる気にはなれない