江上茂先輩と大島劼先輩(力一杯,突く稽古)
2013-02-19 13:36
 早稲田大学空手部の機関誌「旌旗」第十五号(2000年11月発刊)に大島劼アメリカ松濤館館長の寄稿文があり,ここで江上茂先輩の稽古方法の変化について言及されています。長文となりますが,引用します。
 なお,最初に「教範翻訳出版を記念して、江上茂先輩をアメリカにお招きした」で始まっていますが,これは大島先輩が船越義珍先生の「空手道教範」の英語版を出版するに際し(下記の書籍),著作権が松濤会にあり,その館長であった江上先輩に出版の許しを得た経緯があったからだと推察されます。ちがっているようであればコメントして下さい。
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 教範翻訳出版を記念して、江上茂先輩をアメリカにお招きした1973年。ある日、私の顔をまじまじと見て、「お前さんは、本当に大まじめなんだナ。」と如何にも不思議そうにおっしゃった。「ご自分の若い時と一緒にされては迷惑でございます。」とこれは私。「この野郎。」江上さんの戦中派的乱暴な表現には、いつも暖かさがあった。
 振り返ってみると、1955年の渡米初期から、大まじめに日本の将来の事ばかり考えていた。自称〝國士〟が人相に出ていたに違いない。日本の國も、文化も、消滅して行くのではないか。世界文化史に残る可能性があるものは何かを考えていた時に、幼時から親しんで来た武道文化があると氣がついた。欧米人から空手の手ほどきを求められた時に、意を強くした。江上さんのご滞在は、二週間ほどだったが、色々お話を伺う事が出来たし、未熟な私見も披露させて頂いた。そのうち今でも心に残っている会話の一つ。
 江上先輩の晩年の指導方針の大変化、即ち、「我々が時間と精力を浪費した、拳をかため、体を堅くして行う昔の稽古は、不必要。若い人が稽古を、そこから始めるには及ばない。我々が到達したところから先に行く稽古をしてくれればいいのだ。」と言う、まことに、心温まる親鸞的御心境から発する御方針に私は異をとなえた。
 若い二十代の人達に、悟りを開いた様な気持ちを持たせる事はいけないのではないでしょうか。私は、武道の稽古は、我々が母の胎内にある時に、受精卵から、幼魚、爬虫類、動物、猿類、そしてやっと人間の赤ん坊に育って行く、この過程を踏まなくてはならないと思います。私の敬愛する山本夏彦翁の言にこんなのがある。「精神上の遺産は、子孫に残せない。老荘儒仏ヤソにいたるまで、聖賢は人類を精神の内奥から救おうとした。」これは難しい問題だ。私は、異邦人に、日本の武道の内面性、心境を教え様としている。それが世界に冠たる日本の精神文化だと云う事を知らせたくて。
 〝肩の力を抜いて、楽にして、〟と長年言い続けて来たが、(これが一向に理解されていない事に気がついて、)そうすると、心までゆるんでしまって、いい加減な稽古につながって行く。そこで、この十年ほどは、も少し親切な表現で、〝意識の力を抜くのは、意識のずっと下にある強大な小宇宙のエネルギーを持ち出す為、それを可能にするのは、心の眼を見ひらく事。〟どうも、これも大島ランゲージで、理解されているかどうか。精神文化を言葉で伝えるのは難しい。而、我々には、言葉なしの伝達方法がある。それが稽古だ。合宿稽古だ。道場の雰囲気だ。これは国際語である。

 私も,早稲田で伝統的な空手の稽古をしてきたこともあり,江上先輩が突き,蹴りに求められた貫通力は理解し,現在もその稽古をしているつもりなのですが,やはり「守・離・破」の稽古段階を踏むという意味で大島先輩がおっしゃるように力一杯,突き蹴りをするという稽古を踏んでいくべきではと考えています。

 
<大島劼先輩のこと>

 私が大島先輩を尊敬するのは,アメリカ合衆国、カナダならびにヨーロッパ、中東、アフリカ方面においても広く空手の普及に努められたことはもちろんのことですが,そのお弟子さんが自国で空手の道場を開き,そのお弟子さん達が集まって自然発生的に〇〇松濤館として組織化されていき,そのような組織が,フランス,イスラエル,スイス,カナダ,スペイン,ベルギー,ドイツ,ポーランド,ギリシャ,オランダ,オランダ領キュラソ,モロッコ,ガボン,香港,そして,アメリカ合衆国と実に16カ国でできたにもかかわらず,大島先輩は,その組織の運営に口出しをしたりせず,すべてその国の人に委ねられたという,そのことです。各国の〇〇松濤館の組織運営に関し,何もされていないのですが,何もされていないということがすごいと思うのです。

以 下は、松涛館大島道場ジャパンが創立された際の大島先輩に対するインタビューからの引用です。いえ、コピーです。

松涛館大島道場ジャパン創立インタビュー
http://sodj.jp/oshima-dojo-founding-interview/


大島先生はどういうわけで空手を始められたのですか。

大島師範:皆さんと同様、強くなりたかったからです。 暴力を振われている気の毒な人を助ける事の出来る人間になりたいと思いました。早稲田大学の空手部は、みな紳士的だと言うことを聞き知っていたので、入部は決めていました。

アメリカに行かれたのは空手を広めるためですか。

大島師範:留学が目的でした。出発の時、渡部先輩から「アメリカで空手を教えるのか」と聞かれましたが、「教えて欲しい人がいれば教えます。自分の稽古は続けます。」とお約束しました。

世界に空手を組織的に広められたのですか。

大島師範:組織は、自然発生的に出来たのです。私のところで稽古をしていた人たちが、移住先でグループを作り、自然に増えていきました。稽古をする人があくまでも主である組織を志し、行政はすべてその国の人に任せ、私は自らの行政的地位を放棄し、昇級、昇段審査も金銭を求めませんでした。その事が、信頼関係を築き、組織の発展につながった要因の一つだと思います。

空手の稽古を通じて一番伝えたいのは何ですか。

大島師範:空手部の伝統である「自分に妥協するな」、「自分に厳しくせよ」 が先ず第一です。一番強いところ、一番良いところ、一番美しいところを心の奥底から引出すためには、心を鬼にして厳しく、自分の弱いところ、わるいところ、醜いところを切り捨てていかねばなりません。
これは日本の武道文化ではっきり示され、外国人にとって魅力ある日本文化です。徹底して、武道は稽古ですから、稽古をせずに口先だけで語ってもらっては困ります。

次の世代に何か一言お願いいたします。

大島師範:松涛館大島道場は、武道的な稽古が出来るところであって欲しいと思います。会員同士は「和を以って貴となす」は勿論、部外者にも「浩然の気」で接して下さい。会員はみな“大きな心”、“暖かい心”、“強い心”を持つことを常に求めて行く集団であってほしい。



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