戦前、笹川良一は「満州再興計画」に自ら水面下で動いていた。

そして、戦後の北京(共産革命1949年を挟んで)4年間も滞在したD・キッド氏。

この二人を結ぶラインがある。

1976~1996年まで、およそ20年間、住居として暮らした「九条山・キッド邸」である!

それは、このキッド邸の大家が、実は笹川良一の従兄弟である「中島六兵衛翁」だったのである。

 

 

京都九条山・中島六兵衛邸でくつろぐ笹川良一翁。親戚筋から頂いたなかの一枚。

D・キッド邸の上隣の豪壮な住まい。

中島六兵衛さんは大企業専門の「お金貸し」だった。

当時、「一日の利子収入が650万円」もあった大富豪である。

 

 

次は、笹川良一翁の満州再興計画を書いた拙文(日本主義2015年掲載)

 

 

 

戦後政治を動かした日本の首領
笹川良一と佐川清の深い関係

  

 戦後の政界を動かした人物の中でもひときわ異彩を放ったのが「笹川良一」と「佐川清」である。
「日本の首領」と呼ばれた笹川はA級戦犯として岸信介元首相らと巣鴨プリズンに収監されたが「巣鴨は最高の大学」だと獄中にもかかわらず意気軒昂だった。

  一方の佐川は、「常識は壊すべし」と違法を繰り返しながら日本屈指の運送会社を育て上げた天衣無縫の異端経営者。
 このご両人、「自民党の総裁選になると、うちは五〇億!と決められている」と、ふかくため息をついた佐川清を笹川翁がなだめ、時にはぶつかりながら歴代総理大臣を脅かす稀代の盟友だった。

 

「世界一家・人類みな兄弟」
 を実践した佐川清

 
 戦後七十年ということで、原稿のご依頼を頂いた。
 私は戦後生まれだが、十年勤めた会社が佐川急便グループの統括本部、清和商事(京都市)の社内報編集室だった(後に広報室を設立)そのおかげで、大正生まれ(十一年三月)の創業者佐川清会長の斬新かつ破天荒な経営方針の代筆はじめ、日本の復興に邁進した政財界人が語る対談記事をまとめるなど貴重な体験ができた。
 また、信長の「叡山焼き討ち」によって消失した比叡山の東塔再建に寄進したご縁から、天台宗延暦寺、山田恵諦座主にお願いした「今月の言葉」は、社内報「飛脚」に連載すること十三年に及び、後に単行本「いきいきと生きよ」として出版(出版文化社発行)。混迷する日本の「一隅を照らす」お手伝いが出来た事も幸運な巡り合わせであったが、何より比叡山開創千二百年を記念して開催された第一回「比叡山世界宗教サミット」(昭和六二年八月)の意義、その経緯など「世界平和」に貢献する日本の役割について実地に学んだことは、意義深い想い出である。
 もっとも、外務省の外郭団体「海外広報協会」が推進していた「ジャパン・ワン・トゥエンティ」(日本紹介番組、全米衛星ケーブルテレビ網SPN『サテライト・プログラム・ネットワーク』・七〇〇万世帯対象)にて全米に流された中曽根康弘元総理の年頭スピーチ演説(昭和五七年一月)及び番組のCMスポンサー(十億円)だった佐川清の志を打ち砕いた戦後最大の政界疑獄事件「東京佐川急便事件」の真相を追求するハメにも陥ったが、今回は事件の真相はさておき、何より十年間に実務で見聞したスケールの大きい人物にスポットを当てながら戦後の「日本主義」を貫いた気骨ある男達の記録を残しておきたいと筆を執った次第である。
 中でも特筆すべきは「日本の首領」と呼ばれた日本船舶振振興会(現在の日本財団)の初代会長笹川良一翁、その人である。
 今ではすっかり消えうせた「世界一家・人類みな兄弟」という、気宇壮大なる「ササガワ標語」は、今なを鮮烈に私の脳裏に残っている。しかも「日本1のあほう」を自称する笹川良一を兄事し続けた佐川清は、「世界一家」主義を実践するために莫大な私財を惜し気もなく使いきってこの世を去った御仁だけに、このご両人の残影とその余韻を書き残しておこうと思う。

 


中略

 

●佐川清は丹波『笹川塾』の門下生

 

 日本のドン「笹川良一」とはいかなる人物であったのか。今も興味は尽きない。佐川に在職中は、政界に及ぼす笹川の影響力の凄さをまざまざと見せ付けられたものだ。
「次の運輸大臣は、石原慎太郎に決めた」
「田中(角栄)が船舶振興会を乗っ取るつもりだ。許せん」
「竹下君(元首相)が男になった」
 生前の笹川良一の肉声を聞いた佐川の幹部から私に伝わる話は、さすが日本を動かす「首領」そのものであった。
 また、佐川清の側近だった方(比叡山延暦寺、高僧の娘婿殿)から聞いた話で仰天したこともある「実は、佐川清は丹波にあった『笹川塾』門下生の一人だよ。ここの塾生にはイトーヨーカードーや日本レースの創業者も居た。佐川さんはここで笹川さんから『佐川君は運送をやるよう』にと指示された」というのだ。
 これは、笹川良一が信奉していた、とある大霊能者が「運輸と通信が、日本の未来を支える」という予言に基く指令だったのではないかと私は思っている。
 後日、笹川が「佐川君は実に義理堅い男だ」と感心していた話しを笹川翁の親戚から聞かされたが、笹川塾門下生の中でも飛び切り出世し、また忠義を尽くしたのが佐川清だったのだ。
 戦後の日本で、この二人の仲ほど面白く不思議な関係はない。ケンカも度々だった。特に田中角栄を巡っては相当やりあった。ロッキード事件に絡む両者の争いは劇的だったが、最後に笹川良一と田中角栄両者の仲違いを仲裁し会わせたのが「俺だよ」と生前の佐川清は語っていただけに、二人の政界秘話は、まだまだ相当に隠されているので、引き続き発掘してみたい。

 

●銀座「日本紅卍字会」で祈る笹川

 

 晩年の笹川良一は、毎朝、中央区銀座五ー九ー十二(ダイヤモンドビル三階)にある社団法人「日本紅卍字会」(道院)東京總院にて朝の祈りを奉げている。
 その姿を写真週刊誌「フォーカス」が掲載、驚いた私は、早速に銀座に出かけて確認したところ事実であった。

 道院の事務局長とは以前から顔見知りだったので、これを機会に「日本紅卍字会」に入会することにあいなった次第だが、御求修のあと「富允」(ふいん)という道名を頂き、「今後道慈推展の使命達成の為に人格の向上をはかり、励まれんことを」と熱望されたが、最近はすっかりご無沙汰なのはいかんともしがたい。
 「道院紅卍会」の解説は、またいずれの機会に譲るが、皇太子殿下を案内した奥多摩「道院」の笹目秀和師と笹川翁の奇妙な関係など、戦後の日本政界を激震させたロッキード事件に絡む巨額マネーの行方から、共産中国と笹川良一に関する面白い裏話など興味深い話を伺ったものである。

 しかし笹川はA級戦犯だった御仁だ。それが中国に渡航した際には、あの鄧小平と肝胆合い照らす友のごとく抱き合っているのだから恐れ入る。笹川の人柄なのか、その人心掌握術、度胸と愛敬ぶりには驚くしかない。
 特に日中関係が冷え切った昨今、安倍首相はじめ閣僚、外務官僚の皆さんは、笹川良一が説いてきた「世界一家」のスケールのでかい思想と発想を、見習うべき時がきたのではないだろうかと思っている。

 


 ●満州国再興に動いた笹川計画

 

 笹川の立志伝は、現代風にいえばワイルド。
そして実にドラマチックな昭和の歴史物語を紡いできた。
 昭和六年、笹川良一は、右翼団体・国粋大衆党を結成し総裁に就任する。

この団体には後の自民党の設立資金を提供した児玉誉士夫も在籍したが、この資金提供は笹川の意向に因る所が大きいと思われる。
 また、昭和七年、中国東北部に満州国が建国されると、「ラストエンペラー」で有名な清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀との会見に成功するなど、大陸でも「ドン・ササガワ」の知名度を大きく広げている。

 さらに同じころ、東洋のマタ・ハリと呼ばれた関東軍のスパイ「川島芳子」とも(親密?)に交際を重ね、命を狙われていた彼女を匿っていたほどだ。
 そして、戦況が悪化した昭和十九年、皇帝溥儀を密かに日本に連れて匿い、時期を伺って再び満州国を再興する計画を立てたのがササガワであったのだ。
 このプランは、実現こそしなかったが、綾部の「大本」に密使が訪れ、溥儀のために「高天閣」を造る所まで具体的な話が進んでいたとは驚きである。

(講談社発行「巨人・出口王仁三郎」出口京太郎著)に記されている。

さて、このときの密使は、笹川良一の使いだったと思われるが、実は本人の可能性が高い。
 さらに再興した国の名前を「高麗国」と定めていたというから六世紀に滅ぼされた「高句麗」復興のロマンに満ちた気宇壮大な大プロジェクトだったのではないだろうか。今の時代にこれほどデカイスケールのアジアん構想を描ける国士がいないのは誠に残念なのだが、・・・・
 さてさて、ところが、最近「新満州国」建国の具体案がネット上に現れた。

 真偽のほどは定かではないが、ローマカトリックの本山バチカンが主導して、イギリス王室と日本の天皇家から巨額の資金を提供させ、東アジアに新国家を建国し、世界の難民を受け入れるという壮大な計画が、それだ。

        ●

 なるほど、二年まえから突如として出現したテロと暴虐の「イスラム国」(その実態は民間軍事会社の武器商売が目的か?イル皆Tさんの陰謀か?)など、この一年、激動する中東、ヨーロッパ情勢を眺めてみると、ちかく膨大な数の難民が世界を彷徨うことが想定されるだけに真実味はあるが、それは表向きで、この新満州国建国は、実は第二のイスラエル(ユダヤ国家)建設構想ではないかと疑惑視する声もある。

 ユダヤ問題に詳しい知人のジャーナリストの話では、中東の火薬庫「イスラエル」のネタニエフ首相は、敵対するイラン国をわざと挑発してイスラエルに原爆を投下させ、「我々は再びホロコーストの悲劇に見舞われた!ユダヤ国家に世界の支援を・・・・」と、世界に向けて被害者声明を発する計画を練っている謀略家だけに始末におえない。とぶちまける。

 そして、この謀略家と何やら後ろで巧みに手を結んで、我が国日本の「民主主義」を根底から揺るがしているのが現総理ABE首相なのである。

 ABEは、昨年早々にイスラエルを訪問した。

 ABEは、この時、ネタニエフから「日本もテロの標的として襲われるぞ!」という発言を巧みに使って「秘密保護法」だの「集団的自衛権」「武器輸出」「憲法改正」などやりたい放題なのはご承知の通りである。

 さて、勢いに乗ったところで、一部の事件を暴露してみよう。

それは、第一次ABE内閣辞職の根本原因となった、30億円SAGAWAマネー保管担当秘書解雇逆恨み復讐事件である。

 このスキャンダル記事が、そろそろ表に出そうな気配なのだが、あえてこの辺りで「完」としておく。


 

 

佐川清と笹川良一。戦後政治を自在に動かした二人の関係は深い。

(京都岡崎:細川別邸)