松涛館空手をアメリカに広めた Tsutomu Ohshima (大島館長)。

 

 

 

​その先輩格に故・奥山忠男先生が居た。(早稲田大学空手部主将)

 

 

 

 

(言霊剣・ことたまツルギ)を創設した奥山忠男先生。(後方に父)

 

先生は戦前、陸軍中野学校の「武道教官」としてスカウトされ任務を遂行。

1945年8月15日の敗戦後は、中野学校の同士や生徒を引き連れ

筑波山中に籠もり、最後の決戦に備えていた。

およそ一年・・・。

世情の空気を察知し、決戦を断念。

故郷愛媛県にて、自決せんとし山を降りた。

もうすぐ生誕百年を迎える。

奥山語録、武道遍歴など氏の伝記を編纂するときである。

 

 

 

R・ワトソン博士にツルギを指導する。

 

 

 

 

大島先生は

毎年、亀岡に奥山先生を訪ね武道(言霊ツルギ)の鍛錬に励んで

おられた。

 

Tsutomu Ohshima アメリカの大島道場。