東北に行った。
2011年 3月 11日(金曜日)
揺れる部屋で、テレビをつけると
とんでもないことが起きていた。
翌日(土曜日12日)「アメリカの取材クルーを送ってくれないか?」
と電話が入る。
明日返事すると返答し、翌日応じた(日曜日13日)
そして月曜14日、東京を出発。
しかし、カーナビは狂ったように我々を乗せた車(ワゴン)の方向を阻止し続けた。
取材メンバーは四人乗っている。
みな北京や、ロンドンから駆けつけた、報道のプロたちだ。
運転席の隣は、(名前は伏せよう)
彼は、運転するぼくにチョコをくれた。
やさしい男だった。
そして仙台に真夜中つく。
おそろしい光景がひろがる。
地面は割れ、田んぼのなかに車が逆さまになってくい込んでいた
霊魂がさまよう。
死臭をこえたにおいが、あの世をおもわせた。
修羅。
闇。
あれからまもなく五年たつ。
2011年 3月 11日(金曜日)
揺れる部屋で、テレビをつけると
とんでもないことが起きていた。
翌日(土曜日12日)「アメリカの取材クルーを送ってくれないか?」
と電話が入る。
明日返事すると返答し、翌日応じた(日曜日13日)
そして月曜14日、東京を出発。
しかし、カーナビは狂ったように我々を乗せた車(ワゴン)の方向を阻止し続けた。
取材メンバーは四人乗っている。
みな北京や、ロンドンから駆けつけた、報道のプロたちだ。
運転席の隣は、(名前は伏せよう)
彼は、運転するぼくにチョコをくれた。
やさしい男だった。
そして仙台に真夜中つく。
おそろしい光景がひろがる。
地面は割れ、田んぼのなかに車が逆さまになってくい込んでいた
霊魂がさまよう。
死臭をこえたにおいが、あの世をおもわせた。
修羅。
闇。
あれからまもなく五年たつ。