おや地震だ、今日は佐川清の命日である。
2002年3月11日、享年79歳だった。
はたして彼は死んだのだろうか。
兵役を逃れ、婿入り栗和田組を逃れ、鳶職佐川組を解散し、そして佐川急便を窮地に追い込み、数奇な人生を逃れ続けた。
「稀代の逃亡者」である佐川清は死んではいない。
自宅密葬に参列した私は、ご焼香の際、燻った線香壺に指を突っ込み、上に置かれた線香壺に逆に撒いていた。遺影の佐川が笑っている。
最後に会ったのは、死の一年まえ4月初旬である。
春のうららかな陽気のなか南禅寺の自宅で2月に出版した「告発本」の事後対策を打ち合わせていた。
「ほう、そんなものか分かった」とやさしく微笑む佐川の顔を見たのが最後だった。
痩せこけてはいたが、四年前に比べて血色も良く、時おり見せる往年の怒りと軽い冗談も衰えてはいない。
「会長、次は経営語録をまとめます」最後の日、頷く佐川はどこか安堵に満ちていた。
※写真は遺影の佐川清と、最後にゴマブックスから出版した「創業者からの遺言」である。