「なぜ、佐川急便は立ち直ったか!」 「この十年間で借金八千億円の返済」。
佐川清の死後、経済誌「財界」にこんな特集記事が出た。
インタビューを受けたのは栗和田榮一現会長である。
笑顔で答える栗和田さんは佐川再建までの経過、過去との決別など自信に溢れた口調で饒舌に語り、未来に向けた豊富を述べている。さらに父、佐川清と反目したことも素直に語っているのだ。
いくぶん頼もしくなった。
最近、古参の幹部は「栗和田さんが佐川会長に似てきた」という。その独断ぶりは親譲りであるとも。ただし経営者としては、まだまだ佐川会長に及ばない。
佐川清が富士山ならば、栗和田さんは、御岳山か剣山だろう。人脈、山脈その裾野の広さが違う。
かつて近衛文麿は、酒席宴会の隅っこに控える目立たない仲居さんにまで配慮を忘れなかったという。
酌をさせ「はいご返杯!」と杯を渡す、これは感激である。仲居さんにとっては生涯忘れることのできない思い出になる。
天台宗開祖、最澄は「一隅を照らす」という教えを広めた。
この姿勢は「一個の荷物を大切に」という佐川飛脚の精神の原点であった。
その一個から膨大な佐川運輸王国が築かれた。
佐川清没っして九年、まだ真の佐川急便たりえない。さらに第二の佐川急便乗っ取り計画が進行しているのではないか。
ドライバーの汗と油が佐川の生命だ! 油断禁物である。