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           細川護熙さん「政界引退の手紙」






 「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花は花なれ 人も人なれ」



 ご先祖である細川ガラシャ婦人の句で始まる細川護熙氏、佐川清会長(当時社主)に宛てた政界引退の手紙である。


 風流人らしく和紙の巻紙にしたためられていた。


 そのコピー六枚を佐川は自ら丁寧に糊付けし、長さ150センチほどの複製に仕立てて私に手渡す。


 12年ほど昔である。ご丁寧に封筒も、きっちり封書として複製し、その中に巻紙を忍ばせてある。

 

 「これ持って」南禅寺の自宅に蟄居していた佐川は、ときおり手製の土産物を持たせてくれた。


 「はて、この手紙は何を意味するのか?」いつもの事ながら佐川はその意図を語らない。


 明確な目的を示さない。


 常になぞなぞ?ハテナマークの連続である。


 ただ意味もなく渡すはずはない。


 まして個人の手紙であり総理大臣経験者からの重要な中身だ。


 しかも細川退陣は一億円佐川借り入れが問題だった。


 こうして国政の修羅場に必ず佐川が絡む。


 爆弾ケンカ太郎、佐川の行動は常に危険が伴い、鉄火場の如く敗残犠牲者を生む。


 その底からはい上がるかいなかが試されている。


 「会長、この手紙の意味はなんですか」----「まあ自分で考えてみろ!」冥土でほくそ笑む佐川清の顔が浮かぶ。まったくもって無責任さが似合う男だ。

 同じころ、偶然、東京で霞山会の近衛通隆氏(文麿侯爵の次男)にご挨拶に伺う機会があった。


 通隆氏は「甥子がお世話になりましたね」とおっしゃる。


 ああ、細川さんは近衛家の血筋を引いているのだ。


 お顔も良く似てらっしゃる。さすれば第二次細川内閣の実現があるかもしれないと・・・その時は堂々と「佐川日本新党」をぶち上げれば世論はぶっ飛ぶだろう。


 余談だが、この話を細川さんの後輩(上智大卒のアントニオJr君)にすると、咄嗟に「その役は奥さん、佳代子さんが適任ですよ」と目を輝かせながら迫ってきた。


 なるほど、天皇家に女帝天皇が生まれるかもしれない歴史的な時代を迎えたこの日本だ。


 アントニオJrは第二の天の岩戸開きを期待している一人か。


 さて無責任一代男を自認していた佐川清の晩年は、この日本を見捨てたくなるほどガッカリしていた。


 ため息まじりに「もう駄目だな日本は。平和ボケで緊張感も気迫もない。人間カネ、カネに毒されて、思考停止だ。これから商売で華僑には勝てません。絶対に」


 あれほど強気で、破天荒な経営者で鳴らした佐川清の落胆ぶりは酷かった。


 何ぶん国家権力にこれほど不信感を抱いた人間もいないだろう。


 華僑はじめオマーン王族、ヨーロッパ貴族、世界各国に独自のネットワークを持っていた佐川、国際情勢など彼らの生の声を知るからこそ警鐘を鳴らすことが出来た。


 しかし、島国根性丸出しの政治家は修羅場体験も人脈ネットワークも希薄なうえに、慢心だけが自慢なのだ、こんな日本の政治家など、中国、ロシアの海賊馬賊にかかれば、瞬時にして一網打尽、ハニートラップやり放題である(谷垣・干し柿・柿うえもんである)。


 「まあ日本の政治家なんてただの男芸者だよ!」


 佐川にとって祇園も永田町もただ退屈しのぎの遊び場だったに違いない。


 「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の ・・・・」暗雲立ち込める日本だが、それでも佐川魂を込めて「飛脚」は走る。