Reservoir Dogs(1991 アメリカ)

監督/脚本:クエンティン・タランティーノ

製作:ローレンス・ベンダー

製作総指揮:リチャード・N・グラッドスタイン、ロナ・ウォレス、モンテ・ヘルマン

撮影:アンジェイ・セクラ

美術:デビッド・ワスコ

編集:サリー・メンケ

出演:ハーベイ・カイテル、ティム・ロス、マイケル・マドセン、クリス・ペン、スティーブ・ブシェミ、ローレンス・ティアニー、カーク・バルツ、エディ・バンカー、クエンティン・タランティーノ、スティーブン・ライト

①既に確立しているスタイル

タランティーノ作品では映画館で観たことのなかった「レザボア・ドッグス」、デジタルリマスター版上映ということで観て来ました。

いや〜めちゃくちゃ面白いな。そしてめちゃくちゃカッコいい

もう、それだけで終わらせてもいいのだけれど。

 

スタイリッシュ。

1作目にして、タランティーノのオリジナルのスタイルが完全に確立していて、揺るぎない。

誰の真似もしていない

いや、もちろん、膨大な「映画の蓄積」の上にあるのだけど、もう既にあらゆる影響を統合したタランティーノだけの表現になっている。

 

1作目ならではの面と言えば、短いことでしょうか。シンプル。

近年だったら、まったく同じ内容でも3時間の映画にしちゃうんじゃないかな。

冒頭の「マドンナについてのどうでもいい雑談」だけでも、あと15分くらいは引っ張れるでしょう。

 

1作目はそういう「いくらでも膨らませられるだろう遊び」が少なくて、その点では物足りないのだけど。

研ぎ澄まされてるという言い方もできますね。サクッと観られるシンプルなスリラーという点では、タランティーノ作品中随一とも言えます。

 

②日常と非日常の接続

冒頭の「マドンナ談義」はスタイリッシュという語られ方をすることが多いけど、プロットの上でも非常に大きな意味があるんですよね。

映画の中の黒ずくめのギャングを、くだらない話をファミレスでダベってる「等身大のオレら」にひっつける。

中学生みたいなワイ談やってるそのまんまの延長線上に、銃をぶっ放して殺したり殺されたり、拷問したりされたり一瞬で死んだり耳切られたり、そんな非日常が同一線上にあるという世界観の創出。

 

ヤクザだってマドンナの曲についてバカ話することもあるよね!という、まさに「目のつけどころ」だけの問題に過ぎないのですが。

これは本当に、タランティーノの発明なんですよね。日常と暴力の接続。

そこで接続する日常がバカバカしいほど、ひとつながりになってる暴力が鮮烈に感じられるという。

 

この基調があるので、めちゃくちゃな暴力の中に身を置く悪人たちを描いているにもかかわらず、どこか身近に感じられる。

フィクションの中の「ギャング」ではなく、自分と同じ感情を持った連中に思えて、自然と親しみを覚えてしまう。友達みたいな感覚になってくるんですよね。

だから最後、極限状態の男たちが実利よりも侠気を優先して行動してしまう様に、思わず感動させられてしまいます。

③「ゾーン」を作る

間を豪快にすっ飛ばす作劇。いちばんいいところは見せない。見せないから、見たい!という衝動が牽引力になっていく。

アクションでなく、会話でつないでいく。でもダレない。会話が面白く、自然で、それぞれのキャラクターを物語っているから。

緊張を溜めていく。緊張が極限に高まった状況での笑い

そして弾けるカタルシス

徹夜で飲んでて、何言っても笑っちゃうような状態ですね。そんな「ゾーン」を、映画のリズムの中で自在に作り出していくのが本当に上手いと感じます。

 

タランティーノは、僕は「最新作が出るたびにベストと感じる」ので、いまだに進化し続けている作り手だと思っていて。

だから、次の10作目で引退しちゃうというのは、もったいなくてしょうがない!

…のだけど、それも含めての美学ですね。映画も本人も、ほんとカッコいい!と思います。