The Card Counter(2021 アメリカ)

監督/脚本:ポール・シュレイダー

製作:バクストン・ポープ、ローレン・マン、デヴィッド・ウルフ

製作総指揮:マーティン・スコセッシ他

撮影:アレクサンダー・ダイナン

編集:ベンジャミン・ロドリゲス・Jr.

音楽:ロバート・レヴォン・ビーン 、ジャンカルロ・ヴルカーノ

出演:オスカー・アイザック、タイ・シェリダン、ティファニー・ハディッシュ、ウィレム・デフォー

①アメリカという国の大きなトラウマ

8年間の服役を終えたウィリアム・テル(オスカー・アイザック)はカジノで勝つ確率を上げるカード・カウンターの技術を刑務所で身につけ、ラ・リンダ(ティファニー・ハディッシュ)の誘いでポーカーの大会に挑戦します。カーク(タイ・シェリダン)という青年に出会ったウィリアムは、彼がジョン・ゴード(ウィレム・デフォー)への復讐を計画していることを知り、彼の面倒を見るようになっていきます…。

 

ポール・シュレイダー監督脚本、マーティン・スコセッシ製作総指揮という「タクシードライバー」コンビの作品です。

 

ポール・シュレイダーは前作「魂のゆくえ」が強烈でした。

息子をイラク戦争に送り出して死なせてしまったトラウマを抱えるトラー牧師(イーサン・ホーク)が、相談を受けた環境保護活動家の自殺に直面し、自分自身も過激な環境保護活動のためのテロリズムに傾倒していきます…。

 

スポンサーに支配された大規模な教会。

イラク戦争という大義なき戦争。

必ず来る環境危機を見て見ぬふりをする欺瞞。

地球を守る活動が大量殺人のテロにつながる矛盾。

そんな現代の根深い問題を、個人の苦悩の中で描いていく作品でした。

 

本作も、イラク戦争の負の遺産である米兵による捕虜虐待問題を背景に、贖罪とトラウマに苦しみながら、なんとか生き抜こうとする男を描きます。

本人は懸命に、良かれと思って行動するんですよね。でも、運命はままならない。

思わぬ変転で、とんでもない残酷な境地にたどり着いてしまったりもする。

その点で、非常に「タクシードライバー」を思わせるところのある映画になっていました。

 

②狂った世界で正しくあろうとする行動

「タクシードライバー」もそうだし、「魂のゆくえ」も、本作も共通しているところは。

主人公が、必死で正しくあろうとするところ。

「タクシードライバー」ではベトナム帰りで心を病んだトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)が、麻薬や少女売春で汚れたニューヨークの街を彼なりに「浄化」しようとする。

その行動は一般的な基準を大いに逸脱していて、狂気や犯罪とスレスレ…もしくは狂気や犯罪そのものなのだけど、主人公の中ではそれはあくまでも「狂った世界で、正しくあろうとする」行動なのでした。

 

本作の主人公ウィリアム・テルは、アブグレイブ刑務所で捕虜を虐待し、告発されて有罪になり、8年の刑に服したという過去を持っています。

非常に残酷な拷問の実行犯だった彼は、やはり心を病んでいて、「まともでない面」がいろんな場面で見えている。トラヴィスと同様、「道の真ん中からこぼれ落ちた」人間です。

でも彼は、それでもなんとか、「正しくあろうと」生きている。

刑務所で覚えたカードのテクニックで、カジノで堅実に(大勝ちするのでなく)少しずつ稼ぎ、毎日コツコツと同じことを繰り返して、この世界を生き抜いていく。

 

それに対して、彼らに残酷な拷問をさせた上官たち、軍上層部の人たちは、誰も裁かれず英雄として扱われて、今も裕福な暮らしをしています。

そんな欺瞞の象徴であるジョン・ゴードを、病んで自殺した父親の復讐として「拷問して殺す」と決意するカーク。

しかし、ウィリアムはそんなカークをなんとか救おうとします。ギャンブルの旅に同行させ、自分の生き方を見せてやり、母親と再会することを手助けし、金を渡してまでも、破滅から引き戻そうとする。

 

毎日コツコツと生きること、自分にできることで暮らしの糧を稼ぐこと、そして、かつての自分がそうだったような、破滅に向かう若者を救うこと。

ウィリアム・テルはあくまでも、そんな堅実な「正しさ」を全うしようとするんですよね。だからこそ、「伝説の英雄の名前」がついているのかもしれません。

③そして最後に訪れる逸脱、それがもたらす映画的高揚

それでも…どんなに本人が「正しくあろうと」していても。

運命のなりゆきで、あまりにも残酷な領域に行き着いてしまうのが、この世界の現実でもある。

捕虜虐待事件の容疑者たちにしても、元は単に上官の命令に忠実な若者たちだったかもしれないですよね。それがいつの間にか、世界中の憎悪を浴びる最悪の拷問者になってしまってる。

 

「タクシードライバー」でも「魂のゆくえ」でも、ただ自分なりに正しくあろうとした主人公たちは、最後にあまりにも残酷な、倫理的に逸脱した領域に辿り着いてしまいます。

本作も同様。あんなにも正しくあろうと心を砕いたのに、ウィリアム・テルが最後に辿り着くのは、とてつもなく血みどろの領域です。

 

悲劇的で、怖いのだけれど。

でも、この最後に訪れる「逸脱」が、見事に感情的な高揚につながっているんですよね、映画としては。まさに「タクシードライバー」のように。

だから、ただの「社会問題の告発」だけにはなっていない。映画として、非常に強い驚きをもたらすものになっています。

うん。そこがいいですね。映画は社会運動じゃない、その前にあくまでも映画であるわけだから。

 

今回例に出した映画、いずれも主演俳優が印象的な映画

ロバート・デ・ニーロイーサン・ホークも記憶に刻まれる存在感でした。

今回のオスカー・アイザックもそれに負けない、見事な存在感だったと思います!

 

 

 

現実にあった胸糞事件の顛末。閲覧注意。