零落(2023 日本)

監督:竹中直人

脚本:倉持裕

原作:浅野いにお

製作:西村信次郎、横山一博、岡本順哉、MEGUMI

製作総指揮:福家康孝、栗原忠慶

撮影:柳田裕男

編集:古川達馬

音楽:志磨遼平(ドレスコーズ)

主題歌:ドレスコーズ「ドレミ」

出演:斎藤工、趣里、MEGUMI、山下リオ、土佐和成、永積崇、信江勇、宮崎香蓮、玉城ティナ、安達祐実

①清々しいまでのクズ男モノ

漫画家の深澤薫(斎藤工)は最近人気が下降気味。連載も終了し、イラついています。編集者である妻のぞみ(MEGUMI)は人気作家の担当で多忙で夫婦はすれ違い。深澤は家を出て、風俗で出会った「猫のような目をした」ちふゆ(趣里)にのめり込んでいきます…。

 

浅野いにおの原作漫画を、竹中直人監督、斎藤工主演で実写映画化。

創作に行き詰まった漫画家が周囲に当たり散らし、毒を吐いて多くの人を傷つけまくり、風俗の女の子に甘え、身勝手な行動を繰り返す。

いわゆる「クズ男モノ」の作品です。

 

日本の純文学でなぜか連綿と続く位置を占め、なぜか邦画にも相性がいいらしい「クズ男モノ」。

作家がエゴ丸出しで周りの人を傷つけまくる…と言えば最近では「夜、鳥たちが啼く」がありました。

それと比べても、本作の深澤の方がクズ度は上

特に奥さんへの仕打ちは酷くて、腹立たしいほどになります。

 

でも不思議と、不快で観てられない…とはならないんですよね。上手いこと、面白く観られる映画になってます。

その一つの要因は、主演が斎藤工であること、じゃないでしょうか。

宇宙人ライクな斎藤工の、温度や湿度を感じさせないクールで乾いたカッコ良さ。そのおかげで邦画的な過度な情緒が抑えられていて。

主人公がクズで愚痴ばっかり言ってても、不思議と湿っぽい自己憐憫は感じないんですよね。

 

それともう一つ、確かに真摯な創作論になっていること。

ただのステレオタイプのような、「書けなくて苦悩する作家」じゃなくてね。

確かに才能のある作家が、売れる売れないの先に直面する創作の苦悩が描かれていたと思います。「エゴ丸出しの苦悩」ではあるのだけど。

 

②自己評価のバケモノ

深澤、元カノに「バケモノ」って言われてましたけどね。

あれ、「自己評価のバケモノ」って意味ですね。

深澤の特徴は、自己評価がめちゃめちゃ高いこと。

 

別に、漫画家として売れたから自己評価が高い…という訳ではないと思うのです。

学生時代に、既に彼女に見抜かれてた訳だからね。

たぶん漫画家として芽が出る前から、何だったら漫画を描き始める前から、深澤は根拠のない自信に満ちていて、その時売れてる漫画をクソミソに貶してたと思うのです。

こんなのみんなクソだ、俺の方がすごい、と。

 

漫画家として売れて、名前を成して、何本も連載をして。

長期連載作が終わったところで、以前ほど売れなくなっていて、深澤は描けなくなってしまう。スランプに陥る訳だけど。

でもこれも、本当に描けない訳じゃないと思うんですよね。

深澤はそれでもまだ売れてる漫画を馬鹿にして下に見ている。

売れる漫画を描こうと思えば、俺はそんなのいつでも描ける。深澤はそう思ってる。

 

デビューして年月が経って、漫画家としての実力も上がってきて、深澤はそれまでよりもっと表現として攻めた漫画、レベルの高い漫画を描きたくなっている。

それで、連載で「初めの頃は丁寧に入れてた説明を最近はすっ飛ばす」ようになってきた。

深澤としては、その方が漫画としてレベルが高いと思ってる。でも、人気は下がっちゃうんですね。

売れなくなってきて、編集者の態度が冷たくなり、連載が終わってしまう。

 

深澤の悩みというのはつまるところコレ。レベルの高い漫画が描きたいのに(俺は描けるのに)、読者も編集者も馬鹿だから誰にも理解されない。

そのジレンマ。だから、全然描けないとかじゃないんですよ。

売れなくなってても、深澤の自己評価はまったく揺らいでいない。むしろ、ますます高まっていく。

 

そういう深澤の悩み(傲慢な悩み!)を、周囲の人は誰も分かってくれない訳です。

編集者はそもそも売れる方が偉いと思ってる。

漫画ライターは真剣に漫画なんか読んでない。

いちばんの理解者であるはずの妻でさえも、「売れなくなってきた」という理解しかしていない。

 

深澤があんなに妻にキレるのは、だからですね。お前、俺を分れよと。

お前が担当してる売れてる漫画家なんぞより、俺の方が圧倒的にすごいのは明白じゃないか。(だって売れる漫画なんていつでも描けるけど描かないだけなんだから)

だからお前はそんな漫画家なんか放っておいて、俺をちやほやしなくちゃ駄目じゃないか!という。

めちゃくちゃめんどくさい!ですね。

③身勝手な幻想の受け皿としての風俗嬢

なんて傲慢な…と思うけれど、でもこれ実のところクリエイターあるあるなのだと思うのです。

人より自分の作るものの方がすごいという、根拠のない自信くらい持ってないと、クリエイターにはなれない

 

これはたぶん成功するかどうかにも関わらない話で。

もし深澤が漫画をいくら描いても芽が出なくて、プロになれなかったとしても、彼は「俺の漫画を理解できない馬鹿どもが悪い」とずっと言い続けるんじゃないかな。

そうなると本当、悲惨ですね。だからこれはもう、業のようなものですね。

 

元カノにバケモノと言われたのは、深澤にとってショックだったろうけど、でもちょっと嬉しくもあったんじゃないかな。元カノだけは深澤を理解していたってことだから。

だから深澤は、元カノのような猫目の女性を前にすると緊張してしまうし、猫目のちふゆに惹かれていくのでしょう。

 

ちふゆは元カノを思わせる猫目であるというだけで、別に深澤の理解者でもないし、そもそも何者かすらわからないのだけど。

風俗という、もっとも薄い繋がりだからこそ、深澤の幻想を託すことができるのでしょうね。

だから、ちふゆが深澤のことを調べて知って、漫画を読んでしまうと「台無し」になってしまう。

 

深澤はちふゆが本当はどんな人か、知ろうともしない。ただ誰とも知れない人でいて、自分の身勝手な幻想の受け皿になって欲しいだけ。

だからここでも、深澤は相手のことなんか見てないんですね。自分のことしか、頭にない。

どこまでも自分だけ。深澤が愛しているのは、ただ漫画の天才!である自分だけ。

ちふゆとのエピソードでも、人間関係なんてものは描かれない。ただ深澤の自己中心性が描かれていくだけです。徹底してますね。

④「馬鹿でも泣ける」の果ての絶望

アシスタントの富田(山下リオ)に難癖をつけられ、ハラスメントで訴えると言われる深澤。

富田の言動はめちゃくちゃですが、彼女もある種のクリエイターエゴの申し子なんでしょうね。

深澤とはちょっと違うけど、彼女もやっぱり自己評価が高くて、周囲の評価と自己評価の違いが、毒となって表れてくる。

 

一方で妻ののぞみは深澤にひどい仕打ちを受けていて、ハラスメントどころかほとんどレイプされそうになってるくらいで。

訴えるなら彼女の方だと思うけど、そんな気はさらさらなさそうなんですね。

彼女は…逆に自己評価が低すぎるのかもしれない。

 

さんざん八つ当たりしたあげく、深澤は「売れる作品を描けばいいんだろ!」などと言い出す。

で、描けちゃうんですよねコレがまた。

「馬鹿でも泣ける作品」を狙って描けば見事に大ヒットして、人気漫画家に返り咲けてしまうのです。

なんか腹立つけど、才能があると言うのは人格とは関係ないのですね。

 

ヒットしたけど、自分としてはレベルの低い作品だと自認しているので、深澤は不機嫌。

それなのに、落ち目の間もずっと応援してくれていたファンの子にも「感動しました」とか言われて、いよいよ絶望してしまう。

この子は、深澤にとっては最後の拠り所だったんでしょうね。世間の奴らは分からなくても、本当のファンだけは分かってくれてるはずだという。

でも、そんなファンの子にとってさえも、深澤が魂を込めて描いた作品も、売れるために描いた馬鹿でも泣ける作品も、全然違うと思われてなかった

俺の作品は、誰にも届いてなかった…という。絶望ですね。

⑤「馬鹿でも泣ける」ではない映画

というわけで本作は、自己評価が高すぎて、周りを見下すことしかできず、誰からも理解されず、ひたすら孤独になっていく男の悲劇

いや喜劇…かな。

 

竹中直人監督もクリエイターとして、深澤に共感する部分もきっとあるのだろうと思うのですよね。この原作に強く惹かれた訳だから。

深澤のような考え方が、分かってしまう。でも、それではいけないことも分かっている。

そんな裏腹な思いが、批評的なシニカルな視点と、でも突き放しきらないユーモアに現れていて。

 

そういう意味では、分かりやすい結論はない訳で、本作は深澤の言うところの「馬鹿でも泣ける」ではない映画ですね。

やっぱり、そういうものを何とか届くように作る続けるのが、クリエイターの矜持ということになるのだと思います。

 

 

 

竹中直人と、斎藤工も監督しているオムニバス映画。これも漫画原作。そういえば竹中直人は初監督作「無能の人」も漫画原作ですね。

 

 

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