The Banshees of Inisherin(アイルランド、イギリス、アメリカ)
監督/脚本:マーティン・マクドナー
製作:グレアム・ブロードベント、ピーター・チャーニン、マーティン・マクドナー
撮影:ベン・デイヴィス
編集:ミッケル・E・G・ニルソン
音楽:カーター・バーウェル
出演:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン
①考えさせられる小さな話
1923年、アイルランドの小さな島、イニシェリン島。対岸の本土から内戦の砲撃音が響く中、島は平和でした。パードリック(コリン・ファレル)は毎日2時に友人コルム(ブレンダン・グリーソン)を迎えに行きパブで過ごす日々を送っていましたが、ある日コルムから今後一切話しかけるなと言われてしまいます。戸惑い、理由を問うパードリックにコルムは、煩わせるなら自分の指を切り落とすと宣言します…。
アイルランドの小さな島で繰り広げられる、おっさん2人の絶交!の顛末。
なので、非常に地味…ですけどね。
いろいろ考えさせられたし、面白い映画でした。
おっさんの一人は、「アフター・ヤン」や「聖なる鹿殺し」でもお馴染み「困り顔」をさせたら天下一品のコリン・ファレル。
対するのは「ハリー・ポッター」シリーズでお馴染みベテランのブレンダン・グリーソン。
紅一点のケリー・コンドンはアベンジャーズでアイアンマンのAIの声をやってるんですね。
そして、忘れられない顔。「聖なる鹿殺し」「エターナルズ」のバリー・コーガン。
主要キャスト4人全員、アイルランド出身。
この主要キャスト4人が、全員アカデミー賞にノミネートされています。
②12歳かよ!な喧嘩の顛末
表面的には、ただおっさん同士が仲違いしてるだけ…という本作。
劇中でも「12歳かよ!」って突っ込まれてましたけどね。いい年した大人が喧嘩しようが仲直りしようが、本来だったらどうでもいい…ってなりそうだけど。
本作では、途中からそれがどんどん人生の本質を抉っていく形になるんですよね。
昨日まで毎日仲良くパブでダベっていたのにいきなり絶縁されて、パードリックは涙目で「なぜだ?」と訴えます。そりゃまあ、そうなりますね。
それに対してコルムは、キツく言うことで諦めさせようとしたのか、思いっきり本音を叩きつけけます。
「縁を切るのは、お前が退屈だからだ」と。
そう言われちゃうと、パードリックは何も言い返せない。「(俺は確かに退屈だけど)この島の奴らもみんな退屈じゃないか!」くらいしか。
妹のシボーンが抗議に行っても、「(確かにお兄さんは退屈だけど)それは今に始まったことじゃないでしょう!」としか言えない。
つまり、パードリックは自分が退屈なのは自分で認めてる。
というか、そもそも島が退屈なわけで。草と岩しかなくて風がびゅうびゅう吹いてるだけの辺境の島で、娯楽といえば一軒のパブしかなくて、毎日家畜に餌やってパブに行って酒飲んで寝るだけ。
話題なんて、そりゃロバのクソのことくらいしかない。
そんなこと今さら言われても…どうしろって言うんだ!というのがパードリックの本音でしょうね。
でも、コルムは畳み掛ける。
「俺も歳をとったし、じきに死ぬ。このまま毎日を無駄に過ごして、何も残さずに死ぬなんてまっぴらだ」
「だから、俺は音楽を書いてこの世に生きた証を残す」
「そのためには、お前がロバのクソの話をするのを聞いている無駄な時間はないんだ」
痛烈ですね。でも論理的だし、すべて言い尽くされていて、議論の余地もないですね。
③小さな諍いから人生を巡る問いへ
これ、すごいですよね。このやり取り。すごいなあ…と思って。
コルムにしたら、ただ淡々と事実を言っただけだ…って感覚だと思うんですよ。
パードリックだけじゃないのも、今に始まったことじゃないのも、承知の上で。だからお前も自分でもわかってるだろう?という。
お互いにわかってることを正直に言っただけだから、そこまでパードリックを傷つけるという感覚は、コルムにはなかったんじゃないかな。
パードリック個人を責めるというつもりも、もしかしたらなかったかもしれない。「島的な生き方」を代表してもっとも近くにいたのが、たまたまパードリックだっただけで。
でもこれ、パードリックにしたら…人生を全否定されたようなもんですよね。
この退屈な島で生まれて、退屈な人生を生きてきて、パブでどうでもいい話をすることだけが彼の人生の唯一の気晴らしだったわけだから。
それが、人生の無駄だと言われた。お前の人生はまるっきり無意味だ、と言われたのと同じですね。
だからこの後、パードリックは諦めきれずにコルムにしつこく絡んでいって、どんどんウザさを増していって、コルムをキレさせることになるわけだけど。
でもそれは、ただ友達をやめられるのが嫌で、すがってる…というだけではなくて。
このままでは、自分の人生がまるごと無意味なものとして否定されたままになってしまう。
それを、何とかして撤回させなきゃならない。
自分の人生にも意味があると、コルムに認めさせなくちゃならない。
そんな思いだったんじゃないかと、思えるのです。これはやっぱり、切実ですよね。
④だとしたら、我々の人生は?
で、この話は観ている我々にも刺さる…辺境のおっさんの他人事の話じゃなく思えるのです。
だってね。
本作のイニシェリン島は何にもなさが誇張されていて、パードリックも愚かさが誇張されているのだけど。
でもあらためて考えてみると、我々の生活…人生だって、パードリックとどれほど違うと言い切れるでしょうか?
誰もが朝起きて、ごはん食べて、仕事に行って。
生活の糧として、仕事はそれなりに無感動にこなして。
仕事が終わったら飲みに行って、友人としょうもない話をして憂さを晴らしたりする。
その時にする話なんてまあ、くだらない話ですよね。ロバのクソの話ではないにしろ。
もちろん我々には娯楽もいっぱいあって、イニシェリン島とは全然違うわけだけど。
でも、「死んだ後、100年後に誰か覚えてるか?」とモーツァルトを引き合いに出して言われたら、本質的には変わらない。
ただ死ぬまでの時間を無為に費やしてるだけだと言われたら…我々とパードリックと、どう違うんだ?とも思えてくるわけです。
そこから、人生ってなんだろう…という思索に導かれていく。
どんなふうに生きるのが、人生を有意義に生きることなんだろう?という。
何にもない田舎を出て、都会に出れば有意義なのか? 結婚すれば有意義? 音楽とか、文化的なことを何かやってれば有意義なの?
そうでなければ、それは無意味ということになるのか…?
劇中でシボーンやドミニクも悩むように、それは答えの出ない問いですよね。
⑤人生が無意味だったとしても…
図らずもそんな問題提起をすることになったコルムだけど、彼も別に達観した賢者というわけでもない。
そんな極端な選択をするのもおかしいし、自分の指を切っていくのはやっぱりどうかしてますよね。
そもそも、音楽で後世に残る作品を作らないと人生に意味がないとか、そこで引き合いに出すのがモーツァルトというのも、なんだか中二病みたい。それこそ12歳か!という。
彼はまあ田舎としては名人のバイオリン奏者なのだろうけど、世界的に名をなせるかどうかは疑問だし、作った作品にしてもそこまで価値があるものかどうかはわからないですね。
コルムはたぶん、あの音大の学生たちに見出されておだてられて、ちょっと調子に乗っちゃったんじゃないのかな。
パードリックやドミニクは愚か者に描かれているけれど、でもモーツァルトに張り合ったあげく、意地を張って自分の指を切っちゃうコルムもバカですよね。みんなバカ。
で、対岸で内戦してる人たちもバカなんでしょうね。どっちがどっちか、なんで戦ってるのか誰もわからなくなるような戦争。だけど終わらない。
人はみんなバカだし、人生は死ぬまでの時間をロバのクソの話で潰すような、無意味なものなのかもしれない。
実のところは。突き詰めてしまえば。
それでも生きていくのだし、だからこそ面白い…とも言えるのだと思うのだけど。
このおっさんたちの喧嘩の顛末がこんなに面白いわけだからね。
マーティン・マクドナー監督の前作。
コリン・ファレルとバリー・コーガン共演の不条理作。