重慶森林(1994 香港)
監督/脚本:ウォン・カーウァイ
製作:ジェフ・ラウ
製作総指揮:チャン・イーチェン
撮影:クリストファー・ドイル
編集:ウィリアム・チャン、カイ・キットウァイ、クォン・チリョン
音楽:フランキー・チェン、ロエル・A・ガルシア
出演:トニー・レオン、フェイ・ウォン、ブリジット・リン、金城武、チャウ・カーリン
①テアトル梅田とタランティーノ
ウォン・カーウァイ監督の主に90年代の作品群を4Kレストアで上映する「ウォン・カーウァイ4K」での上映。
かつて公開時に上映され、9月で閉館になるテアトル梅田で観ました。
(ローカルな話で恐縮ですが、テアトル梅田は32年の歴史がある大阪では老舗のミニシアターで、9月いっぱいで閉館することが決まっているのです)
レイトショーにも関わらず、売り切れ満席!だったのは、やはり公開当時にテアトル梅田で「並んで観た」人たちが詰めかけたからでしょうか。
続けて観た「欲望の翼」(こちらは4Kじゃなく2020年に公開されたリマスター版)はごく普通の客入りだったので、やはり「恋する惑星」の人気は格別ですね。
「日本のミニシアターブームを牽引した」という言われ方をする映画がいくつかありますが、中でも「恋する惑星」はその筆頭格なんじゃないでしょうか。
今は昔、若い女性たちが大挙してミニシアターのアート系香港映画に列を作った時代があったんじゃ…という。
金城武、トニー・レオン、それにフェイ・ウォンという、アイドル映画の趣もあります。
特に本作は、フェイ・ウォンがいるので!
ウォン・カーウァイの他の映画と比べても、女性人気だけじゃなく男性人気も高いと思われます。
男性人気の高さは、公開当時の宣伝文句が「タランティーノが激賞!」というのからも伺えます。
しょっちゅう、いろんな映画を激賞してるタランティーノではありますが。
当時のパンフレットを見てみると、1995年6月にロサンゼルスで行われた映画祭で「恋する惑星」が上映され、タランティーノが駆けつけた時の様子が掲載されていました。
タランティーノ「正直に言って、ここ2年というもの、こんなに熱くなった映画はなかった。最初の1カットで、この映画にイカレてしまった。完全に一目惚れだった!」
「もし僕なら、前半の終わりを、あのブリジット・リンが彼を撃つシーンにしたな。バーン、バーン、そしてカットが変わって、“カリフォルニア・ドリーミング”が流れる中、トニー・レオンが登場する。その方が観客にとってもっとエモーショナルに彼女の存在が焼きついただろう」
勢い余って自分バージョンの編集までしちゃってます。
タランティーノはミラマックスの中に自身のレーベルを作って、その第1弾として「恋する惑星」を自ら配給すると言ってます。
(第2弾は「ソナチネ」なんだとか。)
この映画を観た多くの野郎どもがそうであったように、タランティーノもフェイ・ウォンに入れ込んだようですが(彼女は英語はできる?なんて聞いてる)、残念ながらタランティーノの映画でフェイ・ウォンを観ることはなかったですね。
②村上春樹の一人称と、自由な香港
刑事223号(金城武)は失恋し、彼女が好きだったパイナップルの缶詰を買い続けていました。いよいよ失恋を思い知った夜、彼は酒場で謎めいた金髪の女(ブリジット・リン)に出会います…。
一方、223号もよく訪れていたスナック店で働き始めたフェイ(フェイ・ウォン)は、客としてやって来た警官663号(トニー・レオン)に出会います。彼は恋人のCAと別れたばかりでした…。
本作の驚き、ファーストインパクトは何と言っても、クリストファー・ドイルの撮影ですね。
「欲望の翼」でも、緑を基調とする色彩の鮮やかさや、湿度を感じる暑さの表現など、独特の撮影は際立ってはいるのだけど。
でも、冒頭から炸裂する本作の「スタイリッシュ」と「スピード感」はいったい何だ?となります。まさしく別次元に入ってる。
このテンポ感だったり、手持ちカメラの臨場感は、後の多くの作品に影響を与えることになりました。
ユーモアを含んだ一人称の語り口は、村上春樹の小説あたりからの影響を受けてる気がしますが、一人称を体現する躍動感あるカメラワークは、「トレインスポッティング」や「アメリ」の「スタイリッシュ」を経て、多くのPOV映画にまでつながっている気がします。
躍動感溢れる映像で表現される魅力は、一人称の主観的な語り口と、もう一つ「当時の香港の自由さ」が挙げられます。
ネオン溢れる雑居ビルに、華やかさもいかがわしさもごた混ぜに同居している。
楽しく働くインド人がいる一方で、犯罪に加担するインド人もいる。ドラッグ取引と銃撃戦と普通の大学生の恋愛が、同じ空間で同時進行している。
これぞ自由社会、ですね。功罪併せ持った、抑圧的な全体主義の対極。ロッキン・イン・ザ・フリーワールド。
猥雑で、自由で、カラフルで、危険もあるけど楽しさもいっぱいの、90年代の香港。
住人たちも、国籍も民族もやすやすと飛び越えていて。
金城武は広東語と日本語と英語と北京語がペラペラで、でもそれを女の子を口説くことにしか使わない。
警官なのにサラッと売店店主に転職するトニー・レオンとかね。恋愛の常識に一切従わないフェイ・ウォンも含めて、みんなどこまでも自由で、気持ちがいい。
この自由さも、今の香港では失われているはずで。憧憬を持って見てしまいます。
③自立したかわいい大人たち
本作は「かわいい映画」です。
フェイ・ウォンがかわいいのは言うに及ばずなんですが。
若い金城武も非常にかわいい。
更に、トニー・レオンまでかわいいです。失恋して、石鹸に話しかけるトニー・レオン。
いい歳したおっさんがかわいいって、本来なら唾棄すべきものになりそうなもんですが、本作はすごく素直にクスクス笑いながら、失恋して奇行に走る男たちと、恋に臆病で奇行に走る女の子の様子を、微笑ましく見守ることができます。
時代性…は確かにあって、相手が男であれおっさんであれ、「かわいい」が通用した時代は確かにありました。
でも、今観てもしらけることなく、「かわいい」を楽しむことができるんですよね。
あらためて思ったのは、本作の登場人物たちは皆「かわいい」のだけど、決して「幼くはない」ということ。
かわいいけど子供じゃない。ちゃんと、「かわいい大人」なのだと思うのです。
警官である金城武やトニー・レオンにしても、フェイ・ウォンにしても、みんな自立した大人であって、誰かに寄りかかっていない。
恋愛に本気になって、失恋してメソメソしたりはするけれど、でも誰かに依存しようとはしていない。一人の大人として立っている。
当たり前のことではあるんですけどね。たぶんここで甘えた大人に見えてしまうと、かわいいも何もなくなると思うのです。
前半も後半も女性の方が強くて自由で、男は振り回される。これも村上春樹的ですね。
前半のブリジット・リンは割と典型的なファム・ファタールだけど、後半のフェイ・ウォンの造形は画期的だったと思います。
セオリーに従わない。すごく男を好きになるのだけど、普通の恋愛の手順を踏まない。
回りくどい行動をして、やっと恋が実ったと思ったら、1年男をほったらかして、CAになって自力で仕事でカリフォルニアに行っちゃう。
(公開当時は「スチュワーデス」でしたが!)
精神的にも職業的にも自立していて、互いにもたれ合わないけれど、でも全身で真剣に恋愛しているから、かわいい。
今観ても画期的だし、極めて魅力的でした。
④ロフトとゴルビーと失われた20世紀
映画を観てるとフェイ・ウォンがロフトの黄色い袋を持っていて、ああ日本の雑貨店であるロフトがオシャレな時代だったんだなあ…と思いました。
テアトル梅田は梅田ロフトの地下にあるわけですが。
梅田ロフトとテアトル梅田ができたのが1990年だそうです。
香港が中国に返還されたのが1997年。映画のたった3年後ですね。
現在の香港が、難しい状況にあるのは、ニュースなどで報道されている通りです。
ついこの前に「ロッキーVSドラゴ」で80年代後半の楽観的なムードに触れ、その象徴のようだったゴルビーに触れたのだけど、亡くなりましたねゴルビー。
過去が今より良く見えるのは、年とった証拠だと言うけど。
でも少なくとも、当時今のように中国を嫌う人とか、韓国を嫌う人とかいなかった…少なくとも今ほど目につくことはなかったなあ…と思うのです。
あらためて、「恋する惑星」に映されているような自由で軽やかでオシャレな世界を、今一度目指してもいいんじゃないかな…なんてことを思いました。