Annette(2021 フランス、ドイツ、ベルギー、日本、メキシコ)
監督:レオス・カラックス
脚本:レオス・カラックス、ラッセル・メイル、ロン・メイル
原案:ラッセル・メイル、ロン・メイル
製作:チャールズ・ギルバート、ポール=ドミニク・ウィン・ヴァカラシントゥ
製作総指揮:オリヴィエ・ゴリア
撮影:カロリーヌ・シャンプティエ
編集:ネリー・ケティエ
音楽:ラッセル・メイル、ロン・メイル
出演:アダム・ドライバー、マリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバーク、デヴィン・マクダウェル
①カラックスとスパークスの自由なミュージカル
「ポンヌフの恋人」や「ポーラX」で知られるレオス・カラックスの最新作。「ホーリー・モーターズ」に続く作品です。
今回はなんと、ミュージカル。それも、セリフのほとんどが歌という、「シェルブールの雨傘」的なミュージカルです。なおかつ、すべてその場で役者が歌う同時録音。
音楽は1970年代から活躍するアメリカのニューウェーブ・バンド、スパークス。
主演は今をときめくアダム・ドライバーとマリオン・コティヤール。
なにせレオス・カラックスですから、作風は独特で強烈です。
語り口はどこまでも自由で、縦横に第4の壁を超えてきます。
ミュージカルの手法も通常の映画的文法の解体に貢献していて、コメディアンの舞台で演者でなく観客の側が歌い出すなど、虚実を煙に巻くような演出が徹底されています。
究極は、タイトルロールであるアネットを演じるのが「人形である」というところでしょうね。
なんだけどその一方で、ストーリー自体は割とオーソドックス。
前作の「ホーリー・モーターズ」などと比べても、ずっと分かりやすい物語にはなっています。
本作はスパークスの持ち込み企画ということで、脚本もスパークスのアイデアがもとになっているので、物語自体はそれほどぶっ飛んだものではない。その点で、見やすい映画になっていると思います。
②オープニングが最高!
過激なコメディアンのヘンリー・マクヘンリー(アダム・ドライバー)は、オペラ歌手のアン(マリオン・コティヤール)と恋に落ち、娘アネットが生まれます。しかしやがてヘンリーは落ち目になり、アンの成功を妬むようになります。ヘンリーはアン、アネットとクルーザーで旅に出かけますが、海上で嵐に襲われて…。
共にアーティストである男と女が結ばれ、しかし男は女の才能に嫉妬して暴力に走り、やがて自滅していく。
…というストーリーは割とよくある感じで、既視感のあるものではあります。
本作における独自性は、ストーリーではなくその語り口にあります。
本当に、自由。こうあるべき文法に縛られない、自由な語り口が非常に気持ちいいですね。
スパークスによる物語が既にあることで、カラックスは語りの自由さに専念することができていて、むしろ本領発揮できているようにも感じます。
冒頭の「口上」から、人を食っていて最高ですね。「声を出さずにご鑑賞ください」「息も止めて。呼吸は禁止です」
オープニングが素晴らしい。スパークスが演奏するスタジオから、カラックス自身(娘も共演)の合図でスタートして、街へと出て行き、アダムとマリオン、サイモン・ヘルバーグの3人が参加して、カメラ目線で歌いながら街を練り歩いていく1カット。
ここ、めちゃくちゃワクワクしますね。素晴らしい多幸感。
この多幸感あふれるオープニング(と、それと対になるエンディング)だけで、もう十分な満足感があります。
③幼児性と自己愛で破滅する男
本作はいつものドニ・ラヴァンではないけれど、アダム・ドライバー演じるヘンリーはやはりカラックスの分身であるように感じられます。
ひねくれ者で、皮肉屋で、粗暴。自ら幸せをぶち壊し、何もかも放り出すような方向へ突っ込んで行ってしまう、破滅型。
「ボーイ・ミーツ・ガール」からのアレックスと同様。
愛する妻を傷つけ、裏切り、遂には周囲の人々を次々殺していく殺人者に成り果てるヘンリーですが、その行動のもとには彼の幼児的な自己愛があります。
その点でアレックスと同じであって、ずーっと同じ男性像を描き続けているなあカラックスは…要するにそれが自画像ということなんだろうな。
ただ一方で、ちょうど今話題になってる「ダメな男たち」を連想しちゃうのが面白いですね。
「女の前で思わずいいカッコしてしまう」という中学生男子みたいなメンタリティで、自分のキャリアの最高地点をふいにしたウィル・スミスとか。
性に奔放なのをカッコいいと勘違いして、やりたい放題やったツケを今になって払わされて青ざめている日本の映画監督や俳優たちとか。
要するに、みんな幼児性だと思うのですよ。
ただただ幼い。考えが足りない。そんな自分にちょっと自己愛もあって、ダメな自分に酔ってたりもする。
もしかしたら、「変な陰謀論的歴史観にハマったあげく、世界最悪の悪人に成り果ててしまった」プーチンなんかも同じ穴なんじゃないかという気がしますが。広げすぎかな…。
あまりこじつけるのはアレかもですが、しかしやはりこういう幼児性と自己愛にまみれた男の像というのは普遍性があるし、誰の中にもいくらかは含まれているものかもしれない…と思うとちょっと怖いですね。
④滑稽であり、感動的でもあり
本作はミュージカルでありファンタジーなので、嵐の海に消えたアンはゾンビになって帰ってきて、シェイクスピア悲劇のようにヘンリーをさいなむことになります。
でも、ヘンリーはそれだけでは参らないんですよね。無神経だから。
ヘンリーを追い詰めるのは、娘であるアネットです。
アネットが最初人形であるのは、ヘンリーにとって人間として見えていない…ということなんでしょうね。
だから、ヘンリーはアネットを金儲けの道具として扱うことができる。
そのアネットに告発され、すべてを失って初めて、ヘンリーはアネットが人間であることに気づくことになります。
操り人形で表現されるアネットが面白いし、抱き人形のアネットで1人芝居するヘンリーやアンも何だかすさまじく見えてきます。
人形を相手に泣いたり笑ったり狂ったり、感情を歌にしてぶつけ合う様は鬼気迫ると同時にやっぱり滑稽で、本作は全体を通してコメディでもあります。笑える。
そしてラスト、人間のアネットが登場して、ヘンリーと歌で対話する。
ここに至っては、思わず心を動かされてしまいますね。
⑤そしてカーテンコール
僕がカラックスの映画を観たのは「ボーイ・ミーツ・ガール」が最初で、それは初見ではあまり好きな映画じゃなかった記憶があります。
後になって再見して分かったのは、最初に観た時は自分が若すぎて、過剰にアレックスに感情移入してしまってた。
幼い痛さむき出しのアレックスを見ていると、鏡で自分の痛いところを見せられているような。自己嫌悪みたいな感覚を覚えてしまっていて、主人公を受容することができなかった。
後で観た時はもうちょっと歳食ってたので、そういうことが客観的に見えて、映画の良さも分かったのだけど。
でもそうなると、今度はせっかくの生々しい当事者が失われていて。
狙いにぴったりの年齢の時には痛々しくて観てられないし、それを過ぎたら楽しめるけど今度は本当に受け止めたことにならない。
なんか、困ったもんだなあ!と思ったものでした。(たぶん僕だけの感じ方だとは思いますが)
それだけ、何というか「むき出しの」映画を撮る人だというのが、僕にとってのカラックスの印象だったりします。
本作はその「むき出し」感はスパークスによって薄められてる感があるので、観やすくもあり、ちょっと物足りなくもあり…というところでしょうか。
エンドクレジットの途中から、カーテンコールがあります。
闇の中をキャストが列になって練り歩く、提灯行列。
ヘンリーの周りをちょこまかと駆け回るアネットがかわいくて。癒されます。
物語は絶望的に終わるんですけどね。このカーテンコールで、思わず素晴らしい後味になっちゃうんですよね。
最後まで、まったく自由だなあ、いいなあ…なんて思わされる映画です。