男はつらいよ お帰り 寅さん(2019 日本)

監督/原作:山田洋次

脚本:山田洋次、朝原雄三

プロデューサー:深澤宏

撮影:近森眞史

編集:石井巌、石島一秀

音楽:山本直純、山本純ノ介

主題歌:渥美清、桑田佳祐

出演:渥美清、倍賞千恵子、吉岡秀隆、後藤久美子、前田吟、池脇千鶴、夏木マリ、浅丘ルリ子、美保純、佐藤蛾次郎

①上の世代の映画だけど…

「スター・ウォーズ」40年「男はつらいよ」50年

それが共に完結編。2020年のお正月に。なんだか、感慨深いものがありますね。

 

「スター・ウォーズ」は世代的にどハマりしてるんですが、正直寅さんにはさほどの思い入れもない。

実を言うと、映画館で観たこともないんですよね。だから、知ったふうなことは何も言えないのですが。

 

でもやっぱりさすがと言うか、「いつのまにか観てる」んですよね。親が観てたテレビとかで。

そんなにちゃんと構えて観た記憶もないんだけど、大抵の登場人物は知ってしまってる。さくらとか博とかおいちゃんとかおばちゃんとかタコ社長とか御前様とか蛾次郎とか。

夢で始まることとかオープニングの歌とか、だいたいの展開の様式美とか、

 

自分の世代のコンテンツでは決してないんだけど。

でも、繰り返されたテレビ放送でいつの間にか刷り込まれていて。今あらためて観てみると、普通に懐かしさを感じる世界になっている。

例えて言うなら、子供の頃の法事の親戚の集まりのような。大人の世界なんだけど、自分もその隅っこにいて確かに共有していたな…と感じるような。

なんかそんな不思議な懐かしさを感じさせるコンテンツになっていて、今回の映画にもなんだかやたらと郷愁を刺激されてしまったのでした。

 

②共感してしまう満男の未熟さ

寅さんの映画ですが寅さんはいないので、主人公は満男(吉岡秀隆)です。

これは、実際のシリーズでも末期は実質的に満男が主役になっていたので、自然なところですね。

寅さんの主要登場人物たちはみんな年上ですが、満男は同世代だったりします。

 

満男とか、純とか…なんとなく、同じような時代を背景に、同じような成長を経てきた感覚があるんですよね。

同じように大人社会の中に子供でいて、大人のあれこれを眺めていた頃があって。

同じように思春期を迎えたり、恋をしたり、尾崎にハマったりギター弾いたり黒歴史っぽいイタイこともしたりして。

時を経て、老人社会の中のおっさんになって、娘が大きくなっていたりする。

 

吉岡秀隆って人は、特殊な役者人生を歩んでる人だなあ…と感じます。

子役の頃からリアルタイムで成長する様を、作品の中で晒してきた。しかもそんな長寿作品が複数あって。

どこまでが役柄でどこからが実人生かも、入り混じってきちゃう。満男と結婚したのって誰だっけ?…内田有紀?みたいなね。

 

芸歴の長い俳優は他にもいるけど、彼の場合独特なのは、ずっと自分より上の世代からの視点で描写されてきた…というところじゃないでしょうか。

大人たちから見た子供であり、青年であり。

末期の寅さんで実質主役であっても、彼は大人たちから見た「青くさい若者」として描かれてきたし、彼自身もそんな期待に応えて「青くさい若者」であり続けてきたと思えます。

 

今回の映画で彼はもう50に手の届く年齢になってるはずなんですが、それでもやっぱり、周囲の老人たちからは「まだ未熟な存在」と見なされていて、どこか子供の頃と同じような感覚で見られている。

いまだに、そういう視点で描写されていると思います。

 

そしてこの感じは、実際に同じくアラフィフになってしまった自分自身から見ても、結構共感の持ててしまう感じ。

自分がもうじき50になるなんて、信じられない。まだまだ未熟で、ふわふわしていて、全然地に足がついてない…そういう感覚を持っていて、満男に共感してしまうのです。

 

実際、自分が若い頃の50歳の人とか思うと、もっと揺るぎない大人だったよなあ…なんて思っちゃうのですが。

これが単に自分が未熟なだけの話なのか、世代的なことなのか、あるいはもっと上の世代だって実は同じように感じていて、普遍的な感覚なのか、それはよくわからないですが。

でも、なんていうかある種のリアルな空気感を感じたんですよね。寅さんというある種究極的なファンタジーの中の話ではあるけれど、なかなかリアルに現代の世代感覚をすくいとってるんじゃないかと思ったのです。

③満男と泉の数十年越しのストーリー

メインのストーリーは満男と若き日の初恋の人・泉(後藤久美子)の再会です。

晩期寅さんで泉とくっつきそうだった満男ですが、二人は結局結ばれず。

泉は海外へ渡り、現在は国連でシリア難民のために働くという、国際的なキャリアウーマンになっています。

満男は数年前に妻と死に別れ、女子高生の娘と二人で暮らしながら、一念発起して脱サラし、遅咲きの小説家になっています。

 

満男が50前にして駆け出しの作家になっている、というのも面白い設定だなあ…と思えて。

泉の役柄も、現実のゴクミを大いに反映したものになってますね。年齢を感じさせない美魔女的美貌がすごい。

こういうお祭り的な作品であっても、中東情勢のような社会的視点を乗せてくるのがさすが山田洋次監督だなあと思わされます。

 

ただ、後藤久美子は長く女優業から遠ざかっていたこともあって、台詞回しはやや頼りなく感じてしまいました。

ていうか、そこで逆に他の人たちが役者として達者であることを思い知らされるというか。

吉岡秀隆はじめ、やたらと抑揚の大きな喜劇のセリフ回しなので、最初ちょっと違和感を感じないでもなかったのですが、そうじゃないゴクミと比べると巧さが際立って見えてきます。こうであって初めて寅さんとして成り立つんですよね。

 

ストーリーはシリーズ末期でも描かれていた、泉と彼女の両親を巡る長年の愛憎。

そして、今は夫や子供のある泉と、実はやもめである(でもそのことは隠している)満男の、数十年を経た青い恋の行く末。

そしてそのそこかしこに、今はいない寅さんの存在感が浮かび上がってくることになります。

④満男の中に生きる寅さんらしさ

寅さんのシーンは過去の作品の名場面の引用で挟まれるわけですが、その引用の仕方が巧みですね。

懐かしい人に会ったり。昔やったような、懐かしいやりとりを自分がしていたり。

そのことに気づいたふとした一瞬に、寅さんの思い出がふっと甦る

現実でも、そういうことってありますよね。現在の暮らしの営みの中で、今はいない人の面影が、ちょっとした弾みでふっと立ち上がってくる。

 

そして、寅さんだからね。思い出は常に、笑いと共にあるんですよね。

懐かしい顔をスクリーンで見て、しんみりもするんだけど、やっぱり大いに笑わされてしまう。

 

今もまだ迷いの中にある満男は、何かにつけ、「こんな時、おじさんがいたらどうするだろう」と考えてしまいます。

迷った時、寅さんのように行動することが、満男の中の規範になっている。だから、寅さんは今も満男の中に生きているのだと言えます。

 

泉が不仲の父親と会うのを渋っていたら、「会いに行くべきだ」と忠告する。

わざわざ車を運転して、泉を父親のいるホームまで送っていく。

泉と母親の喧嘩も、地道に丹念になだめてやる。

満男のこの行動が寅さんイズム。要するに、どこまでもお節介を貫くこと。

 

今の時代なら、「うっとうしい」「余計なお世話」と言われてしまいそうな、とことん最後まで関わっていくお節介。

「プライバシーの侵害」とかね。ハラスメント扱いされちゃうかもしれないですね、今だったら。

 

昔でも、行きすぎたお節介は敬遠されたかもしれないけど。

寅さんのそれが受け入れられるのは、そこに一切、自分のことを考える感情がないから、ですね。

自分のことはあくまでも二の次。自分が損しようとどうなろうとそんなことまるっきり気にしてなくて、ただ純粋に相手のために良かれということだけを考えている。

だから寅さんはいつもバカを見て、自分だけ報われずに去っていくことになるわけだけど。

 

そんな寅さんの寅さんらしさを、満男がちゃんと受け継いでる。不器用な、迷いながらのものだけれど。

そのことに気づいた泉が、最後別れ際、熱いキスで答える。このシーンがとても良かった!

不倫の側面のあるキスなんだけど、一切やらしくないんですよね。そこは、実際に国際人であって、日本人離れしたパーソナリティを持つ後藤久美子を見事に生かしたシーンだったと思います。

⑤合いの手が入るのもまた一興

歴代のマドンナたちが次々と映し出されるシーン。全然リアルタイムで観てない僕でも、ウルッときちゃうものがありました。

「ニュー・シネマ・パラダイス」を連想しました。厳密には当事者ではなくても、ノスタルジーは感じることができる。

 

ぼくが観たのは平日の夜の回で、お客さんはパラパラ…だったんだけど、年齢層はさすがに高かったですね。

おじいちゃんって感じの年配の男性が4人くらい、連れ立って来てる。リアルタイムで観てた世代の、友達同士でしょうか。

お年寄りって映画観ながら声出しちゃいますよね。なんか、感想が口をついて出ちゃう。

「若いなあ〜」とか。

「吉永小百合や」とか。

「きれいなあ〜」とか。

見たことを口に出して言っちゃう。

ゴクミが出てからずいぶん経ってから、「ああ、後藤久美子か!」ってのもありました。そこで思い出したんだ!

 

現代のマナーとしては褒められたもんじゃないんだろうけど、でも寅さんだからね。そういう合いの手がちょこちょこ入るのも、悪くはなかったです。