Spoorloos(1988 オランダ、フランス)

監督:ジョルジュ・シュルイツァー

脚本:ティム・クラッベ、ジョルジュ・シュルイツァー

製作:ジョルジュ・シュルイツァー、アンヌ・ロルドン

原作:ティム・クラッベ

撮影:トニ・クーン

音楽:ヘンニ・ブリエンテン

出演:ベルナール=ピエール・ドナデュー、ジーン・ベルボーツ、ヨハンナ・テア・ステーゲ

①ネタバレなしの紹介と感想

オランダで暮らすレックスサスキアのカップルが、車でフランスに旅行に出かけます。喧嘩もありつつも、仲良く旅をしていた二人ですが、立ち寄ったドライブインでサスキアが忽然と消えてしまいます。

それから3年。レックスはなおも取り憑かれたように、サスキアを探し続けていました。そこへレイモンという男が現れ、サスキアに何が起こったのかを教えると告げます…。

 

1988年製作のオランダ/フランス映画。日本未公開で、今回が初公開になります。

当時から評価が高く、スタンリー・キューブリックが3回観て「これまで観た映画の中でいちばん恐ろしい映画だ」と言ったとか。1993年には監督自身の手でハリウッド・リメイクもされています(未見)。

 

ネタバレ厳禁映画です。

というか、ほぼプロット一発勝負。「こんな話」と言った時点でそれがほぼオチになる感じなので、もう出来るだけ情報入れずに観た方がいいと思います。

 

ネタバレなしの感想を先に書いておくと、面白かったです!

面白い、という言葉が似つかわしいかわかりませんが。

「セブン」などと同様の、「気の悪い」系映画。

結構特異な構成になっていて、途中がサスペンス的に盛り上がるわけではないんですよ。

心理的な怖さ。「なんでそうなっちゃうかなあ…」みたいな、登場人物が心理的な陥穽にハマっていく様を、ヤキモキしながら見守らされる映画です。

 

でも、ラストの切れ味は最高でしたよ。強烈な印象を残します。

公式サイトにある高橋諭治氏のレビュー、「映画史上まれに見る最悪の展開と、完璧なまでに美しい調和が同時に訪れるエンディング」が言い得て妙だと思いました。

②最善の行動は選べるのか…まだほぼネタバレなし

突然、自分の大事な人が消えてしまう。何の予兆もなく、忽然と。そしてそのまま二度と会えなくなってしまう。

怖いシチュエーションですね。予兆がないということは誰の身に起こってもおかしくないということで。

このジャンルで思い出すのは、古典的傑作「バニー・レークは行方不明」

「ブレーキ・ダウン」なんてのもありましたね。旅先で妻が消えるのは本作と共通。製作時期的には、本作を参照したのかな。

最近では「search サーチ」とか。誰にでも起こり得る、それでいて起こったらめちゃくちゃに怖いシチュエーションだけに、映画も傑作が多い気がします。

 

本作で強調されるのは、「些細な選択がもたらす、取り返しのつかない事態」

冒頭から、繰り返しそれが描かれていくんですね。

高速を降りて、フランスの田舎道を楽しもうよ…という選択。

ガソリンスタンドに寄らなかった選択。

トンネルの中でガス欠になって、パニクるサスキアを一人で車に残してしまう選択。

ここで消えるのかと思いましたけどね。ここでは消えない。トンネルの外で再会します。

これがあったから、レックスは反省してるんですよね。一時の感情に任せて、サスキアを失いそうになってしまったことでかえって彼女への愛を再確認して、決して手離すまいと誓っている。

それだけに…っていうね。

 

ガソリン補給に、ドライブインに立ち寄る選択。

そこでサスキアに飲み物を買いに行かせ、自分は車で待っている選択。

一つ一つは、なんてことのない選択です。別に選択ミスですらない。ごく普通に、日常的にあること。

でも、それが実は取り返しのつかない事態につながっている。

 

予想できないことだから、別にレックスが責任を感じる必要はない。理屈の上ではね。

でも、感情の上ではそうはいかない。

あの時こうしていれば…あの時ああしなければ…こんなことにはならなかったんじゃないか。

そんな無限ループに陥ってしまいます。

 

そんなことは結果がわかった後だから言えることで、実際にことが起こるまでは、そんなふうに最善の行動を取ることなんてできるはずがないんですけどね。人間は神様ではないのだから。

それでもなお、後悔せずにいられない人間心理。

そして、人が何気なく選んだ行動が最悪の結果をもたらすというのなら、いったい人間の選択とはなんだろう。

自由意志に基づく行動に意味はあるのだろうか…なんて、そんなことまで考えてしまいます。

それなら、最善に思える選択肢を選ぶことと、最悪に見える選択肢を選ぶことの間には、実は本質的な差はないのではないか。

…なんていう、終盤の最悪の展開への布石となる最悪の発想が湧いてきてしまうんですね。恐ろしいことに。

 

③徐々に絞られる焦点…徐々にネタバレ

徐々にネタバレしていきます。

ネタバレと言っても、この映画の「犯人」は序盤で早々に明かされます。

大学教授のレイモン・ルモン。奥さんと、二人の女の子と一緒に暮らす心優しいパパ。しかしその実態は…?

 

彼が表面上は真っ当な常識人のように振る舞いながら、別荘で一人で犯行を準備して、女性を誘拐して連れ去る練習をする様子を、映画は淡々と追っていきます。

まったく説明的ではないのですが、観ているうちに彼が練習の果てに遂に犯行を実行し、サスキアを誘拐したことは確実であるように思われていきます。

その次元での謎は、早々に解けてしまうわけです。

残る謎は、レイモンは何の目的で、サスキアを誘拐したのか。

レイモンに誘拐されたサスキアはいったいどうなったのか。

…ということになります。

 

淡々とした描写の中で、徐々にレイモンの異常性が明らかになっていきます。

異常性というのか…表面的にはまったく正常であり、常に冷静。まるで真面目に仕事を黙々とこなすように犯行に向かっていく。

その様子からは、誘拐犯人が普通なら持ってるような当たり前の動機は想像できない。それどころか、猟奇性とか変態性欲とかの異常な動機さえも似つかわしくなく思えてしまいます。

 

そうなると、サスキアはいったい何をされたのか…。その疑問が強烈に際立ってくるんですね。

レイモンの人となりが描写され、表面的な謎が少なくなればなるほど、最終的に明かされるだろう“真相”が恐ろしく思えていく…という仕組みになっています。

④知りたい欲求が破滅へと導く…だいぶネタバレ

3年間サスキアを探し続けたレックスは、今や犯人への憎しみも超えた域に至っています。

彼が求めるのは、サスキアに何が起こったのかを知ること

彼女がどうなったのか知らないままでは、レックスの人生は3年前で止まったまま、どこにも進めない。そんな強迫観念に取り憑かれています。

 

そんなレックスの前にレイモンが現れ、サスキアを誘拐した犯人であることをあっさりと明かします。

普通なら、ボコボコにぶん殴った上で警察に突き出しておしまい。そうとしかならないように思えますが。

でも、そうはならないんですねこれが。

 

レイモンは、騒がずについてくればサスキアに何が起こったか教えると言います。そうでない限り、サスキアに何が起こったか知ることは絶対にできないと。

逮捕されても、証拠はないので警察にも何もできない。3年経ってますからね。今が最後のチャンスであって、これを逃せばサスキアに何が起きたかを知ることは永遠にできない…。

そして、レックスはレイモンの車に乗っちゃうんですね。

観てる方はあかんやろー!ってなるわけですが、ここまでレックスの強迫観念を観てきているので、一定の説得力はあります。

また、観客の側の知りたい欲求も上手いこと掻き立てられていて、レックスの気持ちに同期させられてしまいます。レイモンが犯人であることはもうとっくに知ってることで、観客の興味は「何が起こったのか」に絞られていますから。

 

道徳心より、復讐心より、自分自身の保身よりも強く求めてしまう「知りたい」という欲求。

不条理な犯罪被害にあった人が置かれてしまう「何もわからない」という状況が、いかに辛いものであるか、目に見える被害以外のところで、いかに深刻なダメージを残すか、それが描かれているのだと言えます。

そして、人を破滅させるのは神話の昔から往々にして「知りたい」という欲求であることも。

知ることへの誘惑を耳元で囁くレイモンは、典型的な“悪魔”であるとも言えますね。

 

⑤絶望的な動機。終盤のネタバレも

車の中でレイモンは自分について語ります。子どもの頃、2階のベランダから飛び降りて骨折したこと。自分から飛び降りたことに合理的な理由なんかない。普通は飛び降りない、飛び降りるわけがない。だからこそ飛び降りたのだ、と。

そしてそれこそが、レイモンが犯罪を行う動機です。人を誘拐して殺したり、理想のパパが残虐な犯罪に手を染めたり、普通はそんなことしない。しても何の意味もない。だからこそやるのだ、という動機。

これ、怖い。こんな動機で動く人間に近くに来られたら、もうどうしようもないです。合理的なことは何も通用しないわけだから。

 

普通であればもう、異常と言って簡単に切り捨ててしまうような動機なんだけど、そもそも常軌を逸した状況の中で、レックスはだんだん心理的に巻き込まれ、その動機を共有させられていってしまいます。

異常な状況と、他人を呑む異常な人物との対話の中で、当たり前のことがわからなくなってきてしまう。

最善の行動を選ぶことに意味はあるのか、それが常識的には“最善”であっても、自分の究極の目的が達成されないなら意味がないんじゃないのか。

自分の最大の欲求が達成されるなら、「普通はやらないこと」を選ぶことの方が、むしろ合理的なのではないのか。

 

この辺り、レックスはレイモンの「悪魔的な詭弁」に騙されてるのだとも言えるし、一方でその考え方はむしろ本質を突いている…人生の目的を、少しでも長く生きながらえることではなく、個人的な欲求を達成することだとするなら、むしろこっちの方が正しいんじゃないかとも言えてしまう。

そこが怖いところであって。通常の価値観が揺さぶられてしまいます。

 

そして最後、睡眠薬入りのコーヒーを渡されて、飲むか飲まないかの究極の選択を迫られる。

飲んだらどうなるの?と聞くと、「サスキアに何が起こったかわかる。サスキアにしたのと同じことを、これからお前にするから」と。

飲むわけないですよね。普通なら。

でももはや普通が普通じゃないことが、ここまで積み上げられてしまってるので…。

 

ラスト。コーヒーを飲んだレックスはある場所で目覚め、観客ともども「サスキアに起こったこと」を知ることになります。

これはもう、身もふたもない結末というか…。

「だから言ったやん」というね。意外性は何もない、当然の帰結と言える結末ではあるのですが。

 

この身もふたもない状況が、強烈に怖いです。

レイモンの目的の異常性。彼は自分の手で刺したり締めたりして人を殺したいわけでもなく、バラバラにしたり、そんな猟奇的なことがしたいわけでもない。

被害者の苦しむ様子を見て、サディスティックな欲求を満足させたい…わけでもない。見えませんからね。

被害者に命乞いをさせて、支配者の快感を味わいたいわけでもない。声なんて聞こえない、聞く気もないから。

 

ただ純粋に、普通なら誰もやらないことをやり遂げたい、それだけ。

やり遂げて、自分にはそれができるということを確認したいだけ。

これもう、やられる方にしたらこんな絶望的な状況はないですね。

何日間か苦しみ抜いて死んでいくんだけど、それは完全に一人。誰にも知られず、加害者すら見届けてくれないのだから。

 

そしてラストシーン。別荘の庭にレイモンと家族が集まっている、キラキラした美しい休日の情景が映し出されます。

その庭…って、地面に注目しちゃうのですが。

その庭で、無邪気にはしゃぐ子どもたち、満足そうに見つめるレイモン。

そんなエンディングです。バッドエンドなんだけど、何がグッドで何がバッドなのやら、善とか悪っていったい何だっけ…?なんていう、混乱状態に取り残されてしまいます。

ちょっと他に類を見ない、独特の後味を残すエンディング。

ぜひご自身で味わってみてください。

 

 

 

 

 

ジェフ・ブリッジスとキーファー・サザーランドによるハリウッドリメイク版。

 

 

ミステリーからサイコサスペンス、そしてホラーへ、驚きの変転を見せる傑作スリラー。必見。

 

 

カート・ラッセル主演、「ターミネーター3」のジョナサン・モストウ監督。序盤は誘拐スリラーだけど、後半はアクション。

 

 

 

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