もはや、「野良写真家」なんて誰も覚えちゃいないだろうな。
カメラも持ち歩くのがおっくうになりiphoneで撮るのが関の山。
創作意欲より、日々の仕事で精いっぱい。。。
そんな俺ですが、 腕も上がらないし、カメラマンの様なテクニックもない
それでも、今回はどうしても写真に残したかった。
腐っても 写真家 でありたい・・・。
かつて「人を撮るのが好き」なんてことを、さも写真家ぶって語呂を弾いていた。
そんな薄っぺらな自分が、避けていた事。
「家族の写真」 まともに撮っていなかった。。。
親父の命が数週間と言われた時、焦った。親父の姿を残しておきたくて仕方が無かった
それでも、今まで撮った事のない親父にカメラを向けるのは、照れ臭く、何よりも不自然。
そんなことで、なかなか病室でシャッターは切れなかった。
でも、でも、でも、
なんとか、数枚の写真(寝顔)と 数分の動画を撮った。
そして意識の無くなった親父の姿を泣きながら撮った。
死んだ直後の親父の顔を撮った
安置所で眠る親父の顔を撮った
納棺された親父の顔を撮った
おふくろや、弟は、困惑した顔をしたが、お構いなしだ。
元気な時に、写真を撮らなかった自分を責めながら、親父に謝りながら撮った。
死んだ後の親父は、痛みや苦しみから解放されて、いつも寝ていた時の様だった。
火葬場で、 おふくろが、愛おしそうに親父に触れた瞬間を撮った。
そして骨になった親父を撮った。
白い小さな器に納められて、帰宅する準備をした親父を撮った。
火葬場は、撮影禁止だと言われた。
たしかに、こんな場所で、写真を撮るのは、タブー。
非常識なのかもしれない・・・。
でも、 俺は 写真家なのだ。 腐っても 誰が鼻で笑おうと・・・。
非常識でもなんでもいい。 今目の前の瞬間を切り取らなかったら
一生後悔するそう想ったから、シャッターを切った。
そして、このようにネットに載せている。
やはり非常識か?
それでもいい
俺は、 生と死と愛を撮ることが出来た。
大切な人の最後こそ撮らなきゃだめだ。
だって、赤ちゃんが生まれたら、カメラを新調して撮るんだから
死ぬ瞬間だって、人間の大きな瞬間なのだ。
親父が最後に俺に残してくれたシャッターチャンスだった。
ありがとう親父
感謝している
クソ親父へ これからも俺を見ててくれ・・・。
この記事も書くかどうか迷ったけど、
信頼する写真家さんから「こういう写真を撮ってこそ写真家だ」と
背中を押してもらったので記事にした。。
