新型コロナウイルスの影響で、今月末まで休校措置がとられている地域に住んでいます。

子どもたちの学校は、今週から登校日が設けられました。

密を避けるため、3学年ずつ、1クラスを15人前後のグループに分けて、90分だけの登校。

 

昨日、不登校長男、小1長女の登校日でした。

長男の担任に配慮いただき、長女の投稿と同じになるように調整していただきました。

 

登校時間ギリギリまで「どうしようかな…」という長男。

私も「どっちでもいいよ…」といいながら、様子をうかがっていました。

 

煮え切らない長男を見ると正直イライラしてしまい、無理をさせない選択をさせがちな私。

ですが、長女を昇降口まで送る必要があったので「(長女を)送っていくから、一緒に行く?昇降口まで行って嫌だったらかえって来よう。」と声をかけることができました。

 

結局、昇降口でもウロウロまよっていましたが「90分だけだよね。行って…こよう…かな」というので、教室前まで送って別れました。一緒に付き添ってくれた(前日が登校日だった)次男と、コンビニによってアイスを食べながらあーだこーだ話をして帰宅。90分だけでしたが、次男と一緒の時間がとれたのもよかったです。

 

お昼過ぎに、帰宅した長男&長女。

長男は、「普通だったよ」と一言。

特性もあるのか、聞いても「忘れた」と言って積極的に話をするタイプではないので、私も深くは聞かないようにしていました。

 

夕方、おやつを食べながら…

 

 今日ね、英語やったの。先生二人いたの。

 地球儀のこと教えてもらったんだよ。

 

 学校やめちゃった頃は

 学校に行ってても勉強が全然あたまにはいらなかったの。

 家で勉強してたほうが頭に入った。

 たから、今日は困らなかったよ。

 

ボソボソっと話をしてくれました。

私も、家事をしながら「ふーん」と、聞いていました。

でも、よくよく考えたら、今までで一番学校のことを話してくれたと気づきました。

 

森のようちえん時代から「信じて待つ」という言葉を何度も耳にしてきました。

信じていれば、受容していれば、いつか自ら力を蓄えて動ける日が来ると。

 

そうなのかもしれません。

でも、不登校前後の長男は、みんなと同じようにできないことを叱責され委縮し、小児うつ傾向に。

なにをしても「どうせ無理」と諦めていました。

 

そのうち、親の私自身もあきらめていたんですね。

あきらめれば、期待しなくていいから私が傷つかない。

「信じて待つ」といいながら、周囲との違いに

親の私も傷つき、諦めていました。

何もしないこと=待つこと

そう、都合のいい解釈をしていたのかもしれません。

でも、期待されない、気にかけてもらえない、それは相手に伝わるんだな…。

 

子どももですが、私自身のケアが必要だったのかと今更ながら気が付きます。

わが家は、夫との価値観が違いすぎるので、相談できる場を複数外に持っていたことが良かったのかもしれません。

 

話をして、大きく何かが変わるわけじゃありません。

誰かに聞いてもらえる…そのことが、大人の私の安心になっていたんだな。

あきらめ、落胆していた心をあたためてくれていたことに「ありがとうのきもち」でいっぱいです。

 

夕方、担任の先生から「特別な配慮はとくにしませんでした。校長も教室に様子を見に来てくれたのですが、どの子なのか気が付かないほど馴染んでいました。」と…。異動されてきたのもあってか、今年の担任の先生は、先入観なく長男と接してくれるので、それにも感謝です。