前記もしたが「僕と彼女と週末に」という浜田省吾さんのコンサートツアーである ON THE ROAD2011 The Last Weekendのドキュメントストーリーを綴った単行本を年末年始から読んでいる。
当該ツアー直前に東日本大震災があり宮城ツアーは延期となったが、他会場の横浜アリーナと埼玉スーパーアリーナに参加させていただいた。
震災があった中でのツアー。
節電の中での開催、被災地への思い等々、メンバー、スタッフの葛藤や思いも描かれている。
そしてどのライブ会場でも最初のMCで浜省がこう話し始める。
~ 皆さん1人ひとり、様々な想いを胸に毎日暮らしていると思います。
このつかの間の時間、その想いを忘れるのではなく、明日からまた次に向かっていけるような、英気を養っていけるような、そんな時間にしたいと思います。
今夜も最後までよろしく。~
と。
いつもの感じであれば「つかの間の間、その想いを一瞬でも忘れて楽しんで・・・」と言うはずのところ。
横浜会場で聞いた時、「はっ」とした自分がいたのを記憶している。
「3月11日を境にこのツアーの意味は一変しました」
これも浜省の言葉である。
J.BOYという歌がある。
戦後、日米安保の中で成長してきた曖昧なアイデンティティを持つ日本を自嘲気味にJ.BOYと名付けた。
今回のツアー、そのJ.BOYに入る前のイントロの流れに乗り、こう切り出しながら曲に入っている。
~1986年、25年前、俺は33歳、この歌を作りました
(背後の大型スクリーンにアルバムJ.BOYのジャッケットが映し出される)
戦争が終わり40年。
日本はバブル経済真っ只中、ジャパン アズ ナンバーワン
頂点に向かっていくまさにそんな時代でした。
でもその中で日本人が持っている真面目さや慎ましさ、勤勉さ、そのようなものが失われていく気がしました。
そして90年代。
バブルは弾け、国の財政赤字は膨らみ、格差は広がり、10年が失われた。
21世紀になり明るい未来が待っているのではと思った矢先、9.11同時多発テロ。
世界は全く違う扉を開けてしまった。
そして今年、3月11日。
おそらくこの国は戦後最も困難な時期にあると思います。
25年前、自嘲気味に問いかけた言葉が全く違う意味で自分に返ってきました。
-SHOW ME YOUR WAY J.BOY- ~
昨年、東京・鳥取・宮城の草野球チームによる交流戦が行われた夜、懇親会が行われた。
その際、3チームの面白エピソードを紹介する役だった私はこう切り出した。
「2006年、5年前、俺は33歳、このクイズを作りました・・・」
浜省のMCを引用しその気になる。
自分自身の小さな小さな満足心なのでありました(笑)
思えば中学2年生の時、当時野球部に所属していた私。
野球部の友人宅に遊びに行った際キレイなお姉さんが聞いていたのが浜省でした。
お姉さんへの想いという不純な動機から聞き始めた浜省の歌。
それから今に至るまで全てのシーンに浜省があり、自分が歳を重ねるごと深い意味になっていく曲もある。
ちなみにお姉さんが聞いていたのはバラードに特化したアルバムでした。
おおよそ中学生では理解できない複雑な恋愛感情を歌った曲ばかり。
当時の自分に問い掛けたい。
「背伸びしすぎだ」と(笑)
最後になりますが、同単行本から一部引用したいと思います。
名古屋のライブでの浜省のMC。
~ 「これもブログに寄せられてきたんだけど、いいなと思ったものがあってねえ。
その男性は多分、40代くらいのお父さんなんだけど、横浜のコンサートを観に来たらしいの。
妻と娘は、山下公園かみなとみらいか分かりませんが、お父さんだけ横浜アリーナのコンサートに来たらしいのね。
よくあるパターンじゃん。
お互い良かったね、みたいな。
お父さんは初めて来たコンサートが25年前で、25年ぶりに俺のコンサートを観て、俺は一体、25年間何をやってきたんだろう、と思ったんだって。
そしてホテルに帰って、そこに妻と娘が待っていて
あ、俺の25年は全く意味のないものじゃなくて、素晴らしいものだったと気づいた、というのね」
話の成り行きに耳を傾けていた客席から拍手が湧く。
そうやって浜田省吾の音楽が自分の人生の軸になっているのは客席にいる人達も変わりがないのだろうということでもあるのだろう。
彼は「泣かせるよね」と両手を覆ってみせ
「宴会に戻る?」
「ここまでシーンとなったら宴会には戻れないよね」
と笑わせた ~
自分の人生の挿入歌が浜省で良かったと思う自分なのである。。。
以上、自己満足の話でした。
失礼しました。
