「姫神様に申し上げます。われ、稲の栽培職人にて、賽《さい》と申します。筑紫《つくし》の松浦《まつうら》から参った者でございます。」

 その声に、姫神《ひめかみ》だけでなく、周りにいた樵衆《きこりしゅう》も、皆々、賽《さい》に注目した。

 「われ、松浦にて水稲《すいとう》の栽培を行っております。水稲は、秋津洲のはるか南方、越《えつ》の国で栽培される作物でございます。陸稲《おかぼ》ならば粟《あわ》、稗《ひえ》と同じく、野原で栽培できますが、量が限られております。われらが、科姫《しなひめ》の地で行なう栽培は、秋津洲《あきつしま》では、最も広い田圃《でんぽ》となりましょう。われらが、この地を選びましたのは、山と水と平坦地が程よく整っている場所だからであります。栽培地《さいばいち》は、十町四方でありますが、栽培に成功すれば、この地は、高天原で、もっも豊かな宇迦《うか》の原《はら》となりましょう。」

 賽《さい》は、皆々の様子を伺った。だが皆々、話は聞いてはいるものの、頷《うなず》くものは一人もいない。

 「ただし、水神と樹木の神の力なしには、これほどの土地で栽培することは難しゅう御座います。」

 樵衆《きこりしゅう》の表情が変わった。水神と樹木神とは山神のことである。科姫《しなひめ》のことである。
 その時、樵《きこり》の一人が前に出て言った。

 「科姫《しなひめ》は、科山《しなやま》の水を田圃に蓄えれば、われ等の水はどうなるのかとお尋ねであろうが。しかと、ご返事いただきたい。」

 返事する言葉を失い、おろおろする足《あし》を見た賽《さい》は、

 「われらは、越《えつ》の国から参った者が多く御座います。越《えつ》では、水稲を栽培し始めて数千年の時を経ておりますが、今でも、水《みず》と樹木《じゅもく》と田圃《でんぽ》の争いは留まることがございません。近頃は、戦いによって領地を得ても、水神《すいじん》と樹木神《じゅもくしん》までは治めることが出来ず、田圃《でんぽ》が荒れ地に変ることも少なくはありません。」

 科姫《しなひめ》の表情が変った。

「水神《すいじん》と樹木神《じゅもくしん》とは、誰のことであるのか。」

 科姫《しなひめ》は、賽《さい》の言葉を噛みしめながら静かに問いかけた。

 「もちろん、科姫《しなひめ》様のことにございます。それに、姫のお側の樵衆《きこりしゅう》がこれほど力強くお守りくださる。安心して、稲の作付けに取り組むことが出来ましょう。」

 「では、もう一度、訊ねる。われらの命の水は如何いたすのか。」
 
 「科姫《しなひめ》様のお許しが必要であります。」

 「なんと、われの許しであると。」

 「稲を作付けする為に、平地に水を貯えると、命の水がなくなります。しからば、高台にもう一つのため池を備えるのであります。しかも、天の下の水は、枯れる時もあれば、暴れる時もございます。そのような時の為にも、水甕《みずかめ》が必要であります。その水甕《まずかめ》を作るには、高台の科《しな》の木を切って、堰《せき》をつくらればなりません。土地だけでは、稲作は出来ないのであります。水が必要であります。田圃《でんぽ》に水を張るために、山と川を開拓し、水を平地に引き込みます。科山《しなやま》の樹木を切り倒し、河の流れを変えなければなりません。姫神《ひめかみ》の祈りと樵衆《きこりしゅう》の力なくして、出来るものではありません。」


「高天原の若木神は、樹木の山神であります。必ずや、科姫をお守りくださるに違いありません。」

 足《あし》は賽《さい》の言葉に合わせて、姫神《ひめかみ》に頭《こうべ》を垂れると、自らの力の弱さを悔いて、改めて姫神にお願いした。

 「言葉たらずの足《あし》をお許しください。賽《さい》は、水稲作りの名人であります。だが、これまでに、このような大規模の栽培は、秋津洲《あきつしま》にはありませんでした。あめつちの神々のままに生きる秋津洲の民が、新たな大地を開拓したのは、千年前、わが先祖が安曇野《あずみの》を開い時と豊雲野之神《とよくもののかみ》が瀬戸《せと》の島々を開拓した時ぐらいであります。それ以外では、綿津見《わたつみ》一族が船を作るために樹木を切り、海に運ぶ時と、新しき屋形をつくる時などに限られています。いずれも、神籬《ひもろぎ》を成して、山神《やまかみ》と野神《のかみ》と水神《すいじん》の神々に祈りを捧げて、ようやく成し遂げることが出来ております。是非にも、科姫《しなひめ》の真心によって、土鎮《つちしず》め、山鎮《やましず》め、水鎮《みずしず》めの祈りを捧げて頂き、この地を稲の里となされますようにお願い申し上げます。」

 足《あし》の言霊によって、ようやく、科姫《しなひめ》の心は定まった。

「足《あし》よ、なれの心を疑って済まなかった。賽《さい》よ、この地を新たな宇迦《うか》の里《さと》となしてくれ。われは、喜んで、土鎮《つちしず》め、山鎮《やましず》め、水鎮《みずしず》めの祈りをあめちの神々に捧げよう。高天原の若木神《わかきのかみ》に捧げましょう。国常立之神《くにのとこたちのかみ》の縁孫《えんそん》であらせます諏訪之《すわの》ジン神に捧げましょう。だがな、忘れないでおくれ。山々の樹木と水は、代々、土地、土地に根付いた姫神《ひめかみ》とそれを守ってきた人々の命をかけた賜物《たまもの》であるこを。」

 このようにして、高天原《たかまがはら》での稲づくりは始まった。ため池や水路の工事には、松浦の腰岳《こしだけ》から力自慢の越人《えつじん》や呉人《ごじん》が送られたが、しばらく、無旦《むたん》王子がこの地に入ることはなかった。科姫《しなひめ》の里《さと》では、まだ、よそ者意識が抜けきれず、無路《むじ》もまた扶桑之君《ふそうのきみ》を名乗らせるには、さらに時間が必要だと思っていた。

「  倭人王 豊玉之男(とよたまのお)~秋津洲編 あきつしま、千年の目覚め」  終                         
 
 続いて、話しは大陸に移ります。
次回から「華夏の魂編(かかのたましいへん) 天子受難(てんしじゅなん」をお楽しみに。