一方、朝歌《ちょうか》を巡る攻防は、瑞高《ずいこう》を渤海《ぼっかい》に閉じ込めたこともあって、一進一退の膠着状態《こうちゃくじょうたい》にあった。

 

 そんな中、易《い》は戦いをものともせずに、いよいよ、上甲微祭祀《じょうこうびさいし》を始めるつもりである。帝《てい》は、「尊祖強兵《そんそきょうへい》」を唱える張本人《ちょうほんにん》であるから、戦いの最中《さなか》であろうが、易《い》の意向を無視するわけには行かぬ。

 

 姫鮮喗《きせんぐん》が骸隠《がいいん》に命を奪われたことを窮膳《きゆうぜん》から聞いた易《い》は、帝《てい》と妃《ひ》の前に、毅然とした態度で接した。

 

「兵と兵の戦いは、冀将軍《きしょうぐん》に任せてておけばよいでは在りませんか。それに、わが夫、初めて気の利いた仕事をなしとげてくれました。庚家《こうけ》のわれも、帝《てい》と妃《ひ》に、初めて顔向け出来ましょう。金拆玄殿《きんさくげんどの》の入城で、戦況は一気に変わりました。かくなる上は、最後の砦である夏后《かごう》を打たねばなりますまい。奴の悪鬼《あっき》は、只ならぬ魔性でありまして、古くは夏桀《かけつ》に取りつきて夏王朝《かおうちょう》を滅ぼし、今また、夏后《かごう》に取りつきては、商王朝《しょうおうちょう》を滅ぼさんとする大黄河の悪鬼に御座います。上甲微《じょうこうび》、この魔神《まじん》と戦い、湯王天乙《とうおうてんいつ》もまたこの魔性の悪鬼と戦いました。これ、先祖の力なくして、奴を治めることは出来ますまい。」

 

 夫、姫鮮喗《きせんぐん》のお陰で庚家《こうけ》の面目を保つことができたと、易《い》の表情に明るさが見られた。既に日は暮れて、天空の中心である極星が輝いている。

 

 勢いづいた易《い》は、正妃十家の巫女頭《みこがしら》を集めると、全員を北の空に向かって座らせた。宮城《きゅうじょう》の四隅には、婦好妃《ふこうひ》の親衛隊と帝《てい》の近衛兵が配置され、護りが固められた。

 

 祭祀《さいし》の準備が整ったのか、いよいよ、帝《てい》と婦好妃《ふこうひ》が現われると、十家の巫女頭《みこがしら》たちは、恭しく、首《こうべ》を垂れて跪拝《きはい》した。帝と正妃は静かに斎場に入ると、巫女頭《みこがしら》と対峙するように坐した。

 

「これより、天神《てんじん》、地神《ちじん》の御前に、天干《てんかん》の神々を招き、上甲微《じょうこうび》迎えの祈りを捧げる。」

 

 易《い》の心は、もはや天地《てんち》にあらず、現世《うつしよ》にあらず、時空の外にあった。天干《てんかん》の神々とは、甲《こう》、乙《おつ》、丙《へい》、丁《てい》、戊《ぼ》、己《き》、庚《こう》、辛《しん》、壬《じん》、癸《き》十家の先祖神である。

 

 易《い》は、一歩前に出ると、十家を代表して祝詞を奏じた。

 

「われ、極星《きょくせい》を仰ぎて、天神《てんじん》に請《こ》いて願う。また、地に伏して、地神《ちじん》に請《こ》いて願う。天神《てんじん》は帝《てい》において、地神《ちじん》は正妃《せいひ》において姿を現したまえ。」

 

 すると、天空に紫の光、現れて帝《てい》の身体に光輝く。また、大地に黄金の光、湧き出して正妃《せいひ》の身体に輝く。

 

「地神《ちじん》、天干《てんかん》の神々を呼びて、十家巫女頭《じゅっけみこがしら》に現れたまえ。」

 

 すると、十家の巫女頭《みこがしら》、黄金《おうごん》の光りに包まれる。

 

「ここにお集まりの、天神《てんじん》、地神《ちじん》に願い奉りて、われ等が先祖、上甲微《じょうこうび》の神をお導きください。」

 

 いよいよ、上甲微《じょうこうび》、易《い》の声となって現れた。

 

「われ上甲微《じょうこうび》なりて、始祖契《しそせつ》九代の末裔なり。十家の巫女頭《みこがしら》に申す。夏王朝《かおうちょう》、帝扃《ていけい》、帝厪《ていきん》の時、九州《きゅうしゅう》の天地《てんち》、日照りつづきて、雨降らず。草木皆枯れて、大飢饉あり。人々の心、大いに乱れて、戦いに続く戦いの世となった。十の太陽が現れ、夜昼の区別なし。天干十家《てんかんじゅっけ》の巫女頭《みこがしら》、地《ち》の神《かみ》を集め、天《てん》に祈りを捧げた。この時、地の神々の願い、天に届きて、天空の雲、雨を呼び、大地はここに潤う。天地相和《てんちあいわ》して、戦いもまた収まる。これをもちて、われ、自ら甲家《こうけ》となりて天干十家《てんかんじゅっけ》を定める。天干《てんかん》の願いは天地《てんち》、陰陽《いんよう》の融和《ゆうわ》を求める太極《たいきょく》なり。大禹《だいう》が定めし、陰陽《いんよう》の玉《ぎょく》、すなわち、禹玉《うぎょく》と帝玉《ていぎょく》は、玉座《ぎょくざ》に納めて太極《たいきょく》を現す。大禹《だいう》、契《せつ》の御心を重んじ、契《せつ》の御魂《みたま》を太極《たいきょく》の玉と成す。われ、太極《たいきょく》を祖神子契《そしんしせつ》の祭祀《さいし》と成して、陰陽《いんよう》の融和を求めるなり。これを上甲微《じょうこうび》の祭祀となす。その後、夏王朝の威光はすたれ、天乙《てんいつ》これを滅ぼして、正妃十家《せいひじゅっけ》を定めるも、陰陽太極《いんようたいきょく》の玉座《ぎょくざ》は失われ、帝玉《ていぎょく》は姿を失ったまま現れず。陰陽《いんよう》の玉《ぎょく》と太極《たいきょく》の契玉《せつぎょく》、揃いて祀るは、上甲微《じょうこうび》の務めにして、今や庚家易《こうけい》の務めなり。契玉《せつぎょく》は丙家有襄氏《へいけゆうじょうし》の元に在り、禹玉《うぎょく》は癸家麗衣《きけれい》より帝《てい》に戻された。残る帝玉《ていぎょく》は、今まさに夏后《かごう》の手中あり。まさに今、禹玉《うぎょく》、帝玉《ていぎょく》、契玉《せつぎょく》、相揃《あいそろ》いて天地治まるの時、十干《じっかん》の巫女頭《みこがしら》よ、大いに、天の声に耳を傾け、天地融和《てんちゆうわ》の願いを成すべし。」

 

 その声、宮城《きゅうじょう》に響きわたり、帝《てい》と妃《ひ》は改めて、上甲微《じょうこうび》に頭を垂れ、天干《てんかん》の巫女頭《みこがしら》もまた跪拝《きはい》した。

 

 婦好妃《ふこうひ》は立ち上がって、上甲微《じょうこうび》の声に応えた。

「いま、まさに、上甲微《じょうこうび》顕れて、われ等に諭《さと》す。天地の理《ことわり》にして、陰陽《いんよう》の融和《ゆうわ》を求めん。太極《たいきょく》の力を信じよ。」

 

 天干《てんかん》の巫女頭《みこがしら》、共に頭《かしら》を上げて立ち上がり、帝《てい》と妃《ひ》に真《まこと》を尽くすことを誓った。

 

 その時である。夏后《かごう》の総攻撃が始まった。南門《みなみもん》と東門《ひがしもん》の上空を無数の火矢が襲い掛かり、まるでその熱で、城内は炎が燃え上がらんばかりであった。

 

 いつの間にか、子鄭昊《していこう》が二万の瑞高《ずいこう》の兵を引き連れて、子文趙《しぶんちょう》と合流し、夏后《かごう》一万の援軍となって、金拆玄《きんさくげん》の騎馬隊を牽制している。

 

 南門の冀鮮《きせん》は、四万の大沈軍《たいちんぐん》に持ちこたえるには力不足である。南門の屋形に火が付いた。続いて東門にも火の手が上がった。そこを狙って、まさに夏后《かごう》の総力が押し寄せてきた。

 

 いよいよ、東門、南門に火が移り、火消し隊の水ではとても間に合わない。火が広がるのは早かった。風が舞い、たちまち、城内のあちこちで炎が立ち上った。まさに帝都《ていと》、朝歌《ちょうか》が炎上している。

 

 そこに、丸太部隊が、南門と東門に到着し、激しく門に突き当たる。丸太にも火は飛び移り、やがて、ふたつの門が、それぞれに崩れ落ちんとした時であった。

 

 夏后陣営《かごうじんなえい》の後方から、地の底を這《は》うような太鼓《たいこ》の音が、地響きとなって伝わってきた。東門の前に構えていた夏后の兵士たちは何事かと振り返ったが、その視線の向こうには、上甲微《じょうこうび》の祭旗が見渡す限りの地平に立ち上がっていた。

(つづく)

 

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