ひと月がたち、ふた月が過ぎ、み月を数えた。ようやく、皆々、それぞれに元気を取り戻してきた。
 
 八潮《やしお》は、童子《どうじ》の身を粉《こ》にした介護のお陰で、まともに息が出来るようになり、なんとか歩くことも出来るようになった。
 
 童子《どうじ》は何度も何度も義足《ぎそく》を作り直しては、八潮《やしお》に歩行の訓練をさせて、なんとかここまで来た。八潮《やしお》は童子《どうじ》の介護に甘えていたが、自分がわた衆の島にやってきた目的を忘れたわけではなかった。身体が癒えるにつれて、その機会を伺っていた。
 
 ある時、邑長《むらおさ》がやってきて、八潮《やしお》に話し掛けた。
 
「どうですか、だいぶ良くなられたように見えます。われは、邑長《むらおさ》の麻植《おえ》と申します。世話役の者たちが、皆々様方の回復が早いと、驚いております。」
 
 八潮《やしお》は、立ち上がって、挨拶をした。

「ありがとうございます。ほれ、この通り、われの足も動くようになりました。心より感謝もうしあげます。」
 
 麻植《おえ》は、八潮《やしお》の手を取ると、しっかりと握りしめた。
 
「皆様方の傷の様子は、毎日、伺っております。八潮殿《やしおどの》には、右足を失われて、さぞや気も滅入っておられるかと思っておりましたところ、なんと、気丈にも養生に励まれ、随分とよくなられました。今日は、皆様方の回復の姿をお見舞い申し上げようと、このようにして、やってまいりました。」
 
 丁寧《ていねい》な邑長《むらおさ》の言葉に、八潮《やしお》は深々と頭《こうべ》を垂れて感謝の意を表した。
 
「突然のことながら、沢山の遭難者《そうなんしゃ》を、ここまで親切に介抱して頂き、麻植殿《おえどの》には、何とお礼を申し上げればよいのか言葉もありません。おかげで、われらは命を取戻し、新しい出航の希望が出て参りました。このような南海の島において、まさか、同じ秋津洲《あきつしま》の言葉を話す方々とお会いできようとは、思いもよらぬことでございます。」
 
 八潮《やしお》は、何度も、麻植《おえ》の手を握り締め、感謝の気持ちを現した。
 
「わが船団の者達は、秋津洲《あきつしま》の者、奄美《あまみ》の者、今を時めく婦好妃《ふこうひ》の一族の者、ルソンの者、百越《ひゃくえつ》の海賊たちと様々な生まれの者ばかりにてあります。それぞれに土地を離れた者たちでありますが、幼き時より身体に染み付いた歌や踊り、管弦の舞などがありますれば、邑長《むらおさ》、麻植殿《おえどの》の前にて、心ばかりのお礼としてご披露させて頂き等ございます。」
 
 八潮《やしお》は、このような日が来るのを待っていたのか、それぞれの故郷の祭り囃子《はやし》や笛、太鼓の練習をさせていたのだ。麻植《おえ》も喜んで、八潮《やしお》の申入れを歓迎し、数日後、管弦の宴が模様されることになった。
 
 蘇えりの新月の夜。日が沈むと辺りは、急に暗くなった。暗闇の中から、一斉に松明《たいまつ》が焚《た》かれると、人々の笑顔が映し出され、燃え盛る炎と共に、会場は熱気を帯びてきた。
 
 立ち昇る炎の中、最初に出てきたのは、奄美 《あまみ》の鮫牙《こうが》とその水主衆《かこしゅう》であった。
 
 水主《かこ》の一人が貝と貝を合わせて拍子を取り踊りだした。揺れる炎に映し出された踊り手は、炎の動きに合わせて右に左にと揺らめいた。さらには、鮫牙《こうが》と水主衆《かこしゅう》が立ち上がり、踊り手の後を追って踊りだした。

 奄美《あまみ》でない者も続いて立ち上がり、拍子に合わせて踊った。みんな、見よう見真似で調子を合わせて踊った。 
 
 麻植《おえ》は、賑やかな踊りに、古き先祖の鼓動を覚えた。ふるさとの響きを強く感じたのか、調子を合わせながら、瞬きもせずに、じっと眺めていた。
 
 次は、初老の閩聰《びんそう》がまさかの登場であった。年に一度、閩族《びんぞく》の浜辺には、市が立つという。海の幸と山の幸が交換され賑わうらしい。その祭りの踊りであろう。これもまた、賑やかな囃子から始まった。
 
 苗族《みゃおぞく》が持ってきたという青銅《せいどう》の器を叩くと、甲高い涼《すず》やかな音が鳴り響く。この音は、蚩尤祭《しゆうさい》に参加して年に一度は聞くという麻植《おえ》の心を捉えた。
 
 チーン、チーンと響きわたる鐘《かね》の器を閩聰《びんそう》が手に持って麻植《おえ》の前にでる。厳かに恭しく山の神、海の神に礼を尽くすと、もう一度、チーン、チーンと涼やかな音が鳴り響く。海の幸を持った踊り手が邑長に捧げるように礼を尽くして舞い始める。再び、チーン、チーンと鐘音《かねのね》がひびくと、今度は山の幸を持った舞い手が現われて麻植《おえ》の前で踊り始める。
 
 すると、それぞれの踊り手の後ろには、沢山の山の幸、海の幸を携えた者たちが舞い始める。お互いに交差しながら、海と山の交換をするのである。
 チーン、チーンという涼やかな音が、踊り手の魂を次第に奮い起こすのであった。準備宜しく、次々と出される囃子と管弦の響きが、麻植《おえ》の心を揺すぶった。
 
 やがて徐伸《じょしん》の番がきた。麻植《おえ》は徐伸《じょしん》が帝妃、婦好《ふこう》の一族の生き残りであることを、鮫牙《こうが》から聞いていた。その徐伸《じょしん》の踊りは、丁家《ていけ》の祭祀とも言えた。
 
 再び、閩聰《びんそう》の鐘《かね》の音が響く。幾重にも張られた長い麻布《あさふ》がたなびく中、チーン、チーンの涼やかな音に導かれて龍神《りゅうじん》が現われる。あたかも黄河《こうが》の流水に一匹の龍《りゅう》が泳いでいるかの如くである。龍《りゅう》は黄河を悠々と泳ぎ、「われ、黄河の守り主なり」といわんばかりである。
 
 すると、龍《りゅう》は麻布《あさふ》の河を飛び越え隣の河に潜り込んだ。斉水《せいすい》であろうか、そこを悠々と泳ぎ、また隣の河に潜り込む。今度は淮河《わいが》であろうか。
 
 そこで、龍は立ち上がり天地を睨みつけると天に昇り、地を這いながら都《みやこ》に戻る。「われ丁龍《ていりゅう》なりて都《みやこ》を治める。」といわんばかりの舞である。
 
 この「丁龍《ていりゅう》の舞」は、夏王朝時代から丁家《ていけ》に伝わる九州《きゅうしゅう》の舞の一つだという。
 九州《きゅうしゅう》とは、夏王朝を設立した帝禹《ていう》に、大鼎《おおかなえ》を捧げた九部族の事である。大禹のもとに地方部族はまとまったのだが、丁家《ていけ》もその一つであった。
 
 この時、徐伸《じょしん》は龍《りゅう》を導く龍玉《りゅうぎょく》の役割を演じた。玉《ぎょく》を手に持ち、龍《りゅう》を先導する。
 
 黄河《こうが》から斉水《せいすい》に渡り、さらに淮河《わいが》に潜ると、今度は、天に昇りて地を這う。銅鑼《どら》の音と共に、徐伸《じょしん》は激しい舞の中で忘我の世界にあった。
 
 徐伸《じょしん》の心は龍《りゅう》の玉《ぎょく》と重なり、ますます激しく踊った。すると、首に掛けた翡翠《ひすい》が微かな輝きを示した。その光は、徐伸《じょしん》が手に持つ玉《ぎょく》と一つになり、緑に輝き放った。
 
 この様子を見ていたのは邑長《むらおさ》の麻植《おえ》だけではなかった。麻植《おえ》の背後には、丁龍《ていりゅう》の舞から目を離さないで、じっと佇む若き女人がいた。その姿に気づいた麻植《おえ》は、改めて身なりを整え、首を垂れた。
 
「これは、これは、わたの巫女神《みこかみ》が何事でございましようか。今日は、先の爆発で遭難した者たちの快癒《かいゆ》の祝いで御座います。皆々、元気に身体を取り戻したと喜びて、それぞれが、ふるさとの管弦、踊りを披露いたしております。」
 
「われ、彼《か》の涼やかな鐘の響き、緑光に輝く龍玉《りゅうぎょく》に誘われて、屋形より出て参りました。わが一族の神草《しんそう》、千年の暢草《ちょうそう》にも匹敵する永遠の輝きと、時を超えた神の響きであることよ。まさに、あの緑なす光は、大龍《だいりゅう》の玉《ぎょく》ではあるまいか。」
 
「なんと、あの永遠の命の泉が湧き出すと言う逆鱗《げきりん》の玉《ぎょく》のことでありましょうや。」
 
「いかにも、その永遠《えいえん》の玉《ぎょく》のことじゃ。」
 
「舞っておりますは、丁家《ていけ》の生き残りで、徐伸《じょしん》と申すものに御座います。婦好妃《ふこうひ》の甥《おい》にあたるそうです。」
 
「ならば、なおさらのこと。大事な客人となせ。」
 わたの女神は、それだけ麻植《おみ》に伝えると再び姿を消した。
 
 祭りは、次々に自慢の管弦と踊りが止むことはなく、夜が更けても皆々、歌と踊りに酔いしれた。八潮《やしお》の作戦通りであったが、それ以上に皆々の心は晴れ晴れとなった。
 
「このように皆々の喜ぶ顔を見たのは久しぶりであります。これもそれも、麻植殿《おえどの》の温かい心づかいと、わた衆の寝食を惜しまぬ介抱のお陰にございます。真にありがとうございました。」
 
「いやいや、今日はわれらも楽しい一日であった。皆様方の喜んでおられるお顔を拝見いたしまして、われらも嬉しゅうございます。しかも、秋津洲《あきつしま》の皆様方にお会いできましたのも何かの縁でありいましょう。出航が決まるまでは、ごゆるりと身体を厭《いと》われますように。」
 
 八潮《やしお》は、そろそろ、子安貝《こやすかい》のことを切り出さねばならないと考えていた。(つづく)
 
 
☆彡 縄文神話第三巻「宝貝の海路」連載中です。45話「丁龍の舞」は、中国の東海を航海
    する綿津見の八潮の物語。八潮は、海底火山の爆発で、多くの負傷者を出し、しばら
    く、わた衆の島で養生する。その快癒の祭りで、婦好妃の甥、徐伸は、丁龍の舞を踊る。
      

☆彡 縄文神話第三巻「宝貝の海路」は、いよいよ中盤に差しかかり、ますます面白くなりま

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