いよいよ、大邑商《だいゆうしょう》始まって以来の、最大の夏越祭祀《なごしさいし》の日を迎えた。
 
 城内の中心には巨大な石の櫓《やくら》が建てられ、東西には、日の上がりと日の入りを迎える光の通路が造られている。北には階段を登ったその上に、帝の玉座が据えられている。南は、城門が開かれ、昨夜から夜通し松明が煌々と焚かれてきた。夜明け前になると、南門の人の出入りは、ますます激しくなってきた。
 
 祭祀は、夜明けとともに始まる。上がり日の光は、東の石やぐらにある幾つもの通り穴を通り抜けると、その光が城内に導びかれる。
 
 地平線から太陽が姿を現すと、城内に東からの光線が走る。その光は銅板に反射されて中央の櫓《やぐら》に集められる。さらに各所に設けられた幾つもの反射板は、集められた光を、四方八方に跳ね返し、城内は、燦然《さんぜん》とした光で満たされるのである。
 
 城内を一巡りした光は、十方から再び中央の櫓《やぐら》に戻って、西の通路から出てゆく。
西の光の通路には、城内に漂う様々な穢れを清めた光が風のように吹き出す。
 
 夏越の祭祀は、この上がり日によって、城内が一瞬にして、清浄な空気に満たされるところから始まる。
 
 人々は、この浄化する上がり日を浴びようと城郭《じょうかく》に殺到し、夜明け前から熱気を帯びている。城外では、全国各地からの訪問団が、数日前から泊まり込んでおり、見渡す限り天幕の村である。
 
 この年、帝武丁は、夏越の祭祀に自らの帝運をかけていた。
 
 いよいよ、地平線から太陽が姿を現した。上がりの光が、玉座の正面の櫓《やぐら》に入り、ほの暗い城内のあちらこちらに朝日が射した。
 
 それまで、人々の熱気であふれていた城内に一瞬の静寂が訪れた。みなみな、玉座《ぎょくざ》の方を向いて口を閉ざした。玉座《ぎょくざ》の天空には北極星が輝いていることを皆、知っている。集まった人々は、それぞれの罪、穢れが清められることを祈ったのである。
 
 帝は、静かに立ち上がり両腕を天に捧げ、頭《こうべ》を垂れて祈りの言葉を捧げた。帝が頭を垂れるのは、天地の神に向かう時だけである。
 
「天地なせる陰陽の太極神《たいきょくしん》に、武丁《ぶてい》が慎みて申し上げます。日照り続きて大地は割れ、また、長雨続きて大河は氾濫し、ことごとくに、人々の生きる望みは絶たれようとしております。この時、西の異敵、兵を挙げて都城《とじょう》朝歌《ちょうか》を窺《うか》がわんとする。」
 
 城内の静けさは、人々の呼吸の音さえも消し去ったかの如くである。全国から集まったひとびとは、帝の言葉を一言も漏らしてはならじと、聞き入っている。
 帝の言葉を直に聞くのは初めての重臣も多く、目と目を合わせて驚いている。
 
「われ、自ら指揮を執りこの難局を治《おさめ》んとなすも、大邑商、ただ戎《えびす》の干戈《かんか》に脅えるのみ。すでに西の兵、桃林《とうりん》の砦を越えて、これをわがものとし、大邑商《だいゆうしょう》を滅ぼさんとその時を窺《うか》がう。」
 
帝の言葉は、余りの静かさに、城内を越えて、外の天幕の中にまで聞こえるほどであった。
 
「帝を守るもの数多《あまた》あるとは言え、いまだ力、及ばず。われ、改めて尊祖《そんそ》の心を正し、正妃十家《せいひじゅっけ》の心をひとつとなさん。商の始祖|契《せつ》の魂を取り戻し、帝天乙《ていてんいつ》の気概を持ちて兵を挙げる。天を仰ぎ、地に伏して、われ天地と共にあり。ここ夏越の祭祀において天の神、地の神にわれ誓いをなす。わが務めは、尊祖強兵《そんそきょうへい》をもって商を守るにあり。陰陽《いんよう》の太極《たいきょく》、われに住みて天地を治めさせ給え。」
 
 帝武丁《ていぶてい》は、太極神の前に深々とこうべを垂れて祈り、魂のすべてを震わせて誓いを立てた。
 
 帝が中央の櫓《やぐら》の玉座《ぎょくざ》に坐すと、大きな太鼓の音が光のしじまを突き破る如くに鳴り響いた。
 
 正妃十家《せいひじょっけ》の巫女頭《みこがしら》は、それぞれの場所に就いて、城内への入城を待っていた。
 東の門には丙《へい》家と丁《てい》家、南の門には甲《こう》家と乙《おつ》家、中央の天地には戊《ぼ》家と己《き》家、西門には壬《じん》家と癸《き》家、北の門には庚《こう》家と辛《しん》家がいた。
 
 十家《じゅっけ》は帝の親衛族《しんえいぞく》であり、祭祀の執行役《しっこうやく》でもあった。それぞれの巫女頭《みこがしら》は、光の通り道に備えられた祭祀壇《さいしだん》に向かうと、響き渡る太鼓の音の中で、一斉に祝いの詞《ことば》を捧げた。
 
「天帝武丁《てんていぶてい》に幸あれ、帝妃婦好《ていひふこう》に幸あれ、大邑商《だいゆうしょう》の行く末に、万歳、万歳、万歳。」
 
 太古の昔、伏羲《ふっき》は陰陽《いんよう》の太極《たいきょく》を極め、これを天地万物の理《ことわり》となして、易《えき》を現した。天は揺るぎなき秩序、地は命の泉とし、秩序の元《はじめ》を天神《てんじん》とし、命の元《はじめ》を地神《ちしん》となした。
 
 さらに命の根源を木火土金水《もっかどごんすい》の五つとなし、それぞれに陰陽を加えて甲《こう》(陽木)、乙《おつ》(陰木)、丙《へい》(陽火)、丁《てい》(陰火)、戊《ぼ》(陽土)、己《き》(陰土)、庚《こう》(陽金)、辛《しん》(陰金)、壬《じん》(陽水)、癸《き》(陰水)の十干《じっかん》とした。十干《じっかん》は天干《てんかん》ともいわれ天地万物の理《ことわり》となって、すでに聖帝尭《せいていぎょう》の時には、暦の基礎となっていた。
 
 この日、全国から集まった天干十家《てんかんじゅっけ》の当主と巫女頭《みこがしら》は、まさに天地の秩序に従いて、民の命と繁栄を守る人々であった。
 
 だが、集まった人々の心には、その理想とは違った現実が渦巻いていた。既に、かつての天干十家《てんかんじゅっけ》の面影はなく、形ばかりの祝詞を奏上し、その言葉には帝禹《ていう》の志や天乙《てんいつ》の気概の欠片《かけら》すらも見えない輩が少なからずいたのである。
 
 とりわけ、近畿御三家《きんきごさんけ》と言われる甲《こう》家、乙《おつ》家、庚《こう》家は朝廷の役人とよしみを通じて、莫大な賄賂《わいろ》を得ていた。
 
 彼らは天地の秩序よりもわが身、帝よりもわが一族を可愛がった。大邑商《だいゆうしょう》が潰《つぶ》れても、自分たちが亡びることはないという幻想《げんそう》に溺れていた。
 
 此度《こたび》の夏越祭祀《なごしのさいし》が、商の命運がかけられた重要な祭祀であろうとは、露《つゆ》ほどにも思っていない輩の代表である。
 
 帝武丁《ていぶてい》は、御三家《ごさんけ》が、帝や帝妃ばかりでなく、朝廷の人事にまで口を挟んでいることを太子の時から知っていたが、言葉を出すことはなかった。
 
 それよりも、帝は、太子の時に黄河禹水《こうがうすい》で太極神《たいきょくしん》と出あって以来、もう一度、帝禹《ていう》の志に触れたいと願ってきた。「このままでは、再び、十の太陽が天空に輝き、大地を焼き尽くすに違いない。」と日々、同じ夢を見ては恐れた。
 
 今まさに、その恐れが現実となって帝の心を蝕《むしば》んでいる。「何としても帝禹《ていう》の魂にふれたい、帝天乙《いてんいつ》の志を受けたい」という武丁《ぶてい》の願いは、この夏越祭祀《なごしのさいし》に懸けられていたのである。
 
 帝は、契玉《せつぎょく》を秘かに祀る丙《へい》家の斯訓《しくん》に、夏越祭祀《なごしさいし》の儀は、古式に従って厳密《げんみつ》に行うように命じた。
 
 斯訓《しくん》は、前々から御三家の目の届かない地方の正妃家《せいひけ》と帝家《ていけ》との間を取り繕い、厚情を通じてきた。
 
 特に、御三家《ごさんけ》からは疎外されている戊家《ぼけ》、己家《きけ》、壬家《じんけ》、癸家《きけ》の地方四家のほか、御三家とは距離を置いていた辛家《しんけ》と丁家《ていけ》を何としてでも帝の味方に付けねばならないと思っていた。つまり、御三家《ごさんけ》は、十家の内、残り七家が束になっても叶わない程の力を持っていたのである。
 
 ただし、御三家《ごさんけ》以外の中で、丁家《ていけ》だけは特別であった。帝は、太子の頃から丁家《ていけ》に目をつけていた。御三家とは違って、独自に経済力があり他の十家からは自立していたので、太子は帝になる時は、この丁家《ていけ》から正妃《せいひ》を迎えようと心に決めていたのである。そして、その通りに実行し、いち早く名を武丁《ぶてい》となした。斯訓《しくん》は、帝の不退転の意思をこの時に見たのである。
 
 ところが、正妃《せいひ》となった婦好妃《ふこうひ》は実家の丁家《ていけ》を滅ぼし、十家のまとまりに水を差すことになった。
 
 婦好妃《ふこうひ》の不思議な行動を理解はする者はなく、それは、婦好妃《ふこうひ》による他の正妃家に対する武力圧力だと誰しもが思った。帝妃となった驕《おご》りであるとして恐怖の反発は強まっていった。
 
 帝は、外圧よりも内部の疑心暗鬼《ぎしんあんき》に戦々恐々とし、婦好妃《ふこうひ》によって、まさに内憂外患《ないゆうがいかん》の真ん中に追いやられると誰しもが思っていた。
 
 斯訓《しくん》は婦好妃《ふこうひ》に対して心を許しているわけではないのだが、その不可解な想いを抱きながら、帝に寄り添っている。
 
 婦好《ふこう》は正妃となるために、丁家《ていけ》一族がどれだけ骨身を惜しまれず尽くしてきたかを知らないはずはない。
 にもかかわらず、父親とその弟の軍勢を帝の大群を持ちて潰し、丁家一族は、居場所もなく散り散りに消えてしまった。婦好《ふこう》は帝妃《ていひ》である。なにも、そこまでして丁家《ていけ》の後ろ盾をなくすことはないはずだ。むしろ丁家《ていけ》の後ろ盾を強くし、帝の力を高めることこそが、帝妃の務めではなかったのか。
 
 誰もがそのように考えていたのだが、
 
「帝の考えは違う。」
 
 と、斯訓《しくん》には、斯訓《しくん》なりに肚《はら》を据えていた。信じたものでなければ分からない自信であろうか。
 
 その斯訓《しくん》が、是非にも味方に付けなければならないのが辛家《しんけ》であった。斯訓《しくん》は、この四、五年、辛家《しんけ》の筆頭、有斟興《ゆうしんこう》のもとに足しげく通い、丙《へい》家との絆を強めてきた。
 
 その度に、十家以外の周辺異族《しゅうへんいぞく》に備えよと、帝の意向を伝えることで、厚情を重ねてきた。特に、山西地域の北から、時折、攻めてくる北の狄《えびす》と渤海湾《ぼっかいわん》のさらに東の半島の戎《えびす》を辛家《しんけ》の味方に取り込むようにと特別の兵を与えて備えて来たのである。
 
 辛家《しんけ》は、古くは夏王朝の時、その守備範囲の広さから北狄《ほくてき》の守りとして雍《よう》の地に封じられ、後に有斟《ゆうしん》の名を与えられた。
 
 渤海《ぼっかい》を通じて海上交易にも強かったので、有斟《ゆうしん》氏と斎島《いつきしま》氏との交わりは古く、有斟興《ゆうしんこう》と斎島莎湛《いつきしまさいじん》とは長年の付き合いがあった。
 
 有斟《ゆうしん》氏は、御三家に入らずともその影響力を失うことなく、財を蓄え、兵を鍛えた。有斟《ゆうしん》氏の母神もまた、簡狄《かんてき》に似たところがあって天空に羽ばたく鳳《おとり》を守り神となしている。
 
 丙《へい》家の斯訓《しくん》は、心のどこかで、有斟興《ゆうしんこう》と相通じるものを感じるようになった。興《こう》もまた、斯訓《しくん》の秘かな覚悟に理解を示す数少ない見方であった。帝武丁《ていぶてい》からの信頼も篤く、他の正妃家とは違い、独自に帝家《ていけ》を支えてきたのであった。
 
 夏越の祭祀は、始まったばかりであるが、このように様々な思いを持った十の正妃家《せいひけ》が一族を連ねて、大邑商朝歌《だいゆうしょうちようか》の城下に集まっている。(つづく)
 
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