縄文物語39 鬼神の生贄(いけにえ)
ササラの屋形では、「緋の剣」が盗まれ、二人目の世継ぎ、弟若姫(おとわかひめ)もまた、命を奪われた。「緋の剣」を狙った闇の一味の襲撃は、ササラ屋形だけでなく、浅間の山里全体を恐怖に落とし入れた。肝心のササラとヒカネは、自らの不甲斐なさに、なすすべもなく、呆然として、自分をなくしつつあった。
そんな時、全滅したはずの大力隊(おおちからたい)の生きのこりが、命からがらに、船戸(ふなど)を訪ねてやってきた。生首を捧げるクロ族の儀式、鬼神の生贄の様を知らせる為にやってきた。
[本編]
(二)アツミ一族
クロオシの神への生贄
ヒトツメがタマツミ軍に大打撃を与えた頃であった。猪頭(ししがしら)の屋形では、女ハバキのユウが忍び込み、大変な騒動がおこっていた。猪頭ササラは、度重なる不測の出来事に心は動転していた。屋形の人々の騒ぎも鎮まろうはずはなかった。
先に世継ぎの若猪頭(わかがしら)が殺害された時、守護隊としてやってきたヒカネとアツミ一族は、それ以来、屋形の隅々まで兵を配置して万全を期していた。
ところがその固い護りの中で、「緋の剣」が何者かに奪われ、新たに世継ぎとなった弟若姫(おとわかひめ)の命までも奪われた。そして十日の後、またしても屋形に火が立ち上ったのである。
守備隊は何をしていたのか、と厳しく問われはしたが、明日にもまた、次の手が及ぶやも知れぬという恐怖が、猪頭 (ししかしら)とヒカネの二人の心に深い闇となって覆った。
特にササラは、命に代えてでも守らねばならなかった「緋の剣」が、一瞬のうちに奪われたこと、さらには、猪頭一族の世継ぎを二人までも失ったことで、もはや生きる力を失い放心状態にあった。
千年大祭を前にして、このような形で次々に災難が押し寄せて来ようとは、想像を遥かに超えた出来事であった。
ヒカネもまた、同じ悩みに気が晴れなかった。日高の地から遥か南の神津島に辿り着き、さらには川を上って、はるか浅間の山里にやって来たのではなかったのか。先祖の導きがあったればこその道のりであった。
にもかかわらず、ここにきて「千年(ちとせ)の結び」を全うする希望の剣は失われ、山賊ウノの勢力は日に日に増してきた。
「緋の剣を奪ったのはウノ一味の仕業である。クロ族の頭はウノに違いない。」と、はっきり言い切る者も出てきた。何ひとつ力になれないままに、ヒカネの心は、沈み切っていた。
さらに、千曲川の西では、タマツミとヒトツメが激しい戦いを始めたとの知らせが入ったのである。カカナ神の屋形では、出入り口に堅固な楼門が建てられ、兵士を増強して警護を立て直し、ひと月が過ぎた。
アツミの一族もまた、この最も大切な時に、警護の役を果たせなかったことで、大きな重荷を背負ってしまった。阿積石津見(あつみのいしつみ)は、やり場のない後悔と一族崩壊の行く末を思うと、居ても立ってもいられなかった。
石津見(いしつみ)は、ヒカネに申し開きは出来ず、その怒りの矛先は、すべて、一族の頭に及んだ。それぞれの頭にもその思いは同じであった。
「アツミ一族が揃いもそろって、なんというぶざまな不始末であるか。」
これまで、我慢をしていた石津見(いしつみ)の堪忍袋(かんにんぶくろ)が破裂した。一人一人の頭を睨みつけながら、憤懣やるかたなき怒りを、浴びせかけた。
「綿津見(わたつみ)、船戸(ふなど)、麻績(オミ)、お前たちは、この度の御役目がいかなるものであるのか知らないはずもなかろう。これだけのアツミ衆が揃って、むざむざと、あの千年の剣、「緋の剣」を奪われるとは何んたる事であるか。それだけではない、猪頭の世継ぎを二人までも失ってしまった。」
そう言いながら、石津見(いしつみ)は、今度は自分の頭を叩き、自分を攻めた。
「かくなる上は、もはやアツミ族に後はない。この地に集うアツミ衆、すべての命に代えてでも、「緋の剣」を取り戻すべし。宇都志(うつし)とアツミは一体のもの、宇都志(うつし)千年の誓いを守り通せずして、われらアツミ一族の生きる道はなし。」
石津見(いしつみ)は、覚悟したのか、もう一度、一族の頭の顔を睨みつけた。それは、一族の首領(かしら)として、自分の姿を睨みつけたかのようであった。
「綿津見(わたつみ)が申しあげます。アツミの首領(おかしら)の宣命(みことのり)をわが命(いのち)と致します。わが部族の命運を懸けて、「緋の剣」を取り戻すこと誓い申す。」
綿津見(わたつみ)は誓いのしるしとして、麻縄(あさなわ)を締めて絞り、頭に回して結んだ。さらに、船戸(ふなど)と麻績(オミ)の部族も同じく、石津見(いしつみ)への誓いを約束し、麻縄を頭に結んで誓った。
石津見(いしつみ)は、もう一度、クロ族から襲撃された時の事を思い起こして、船戸(ふなど)に尋ねた。
「船戸よ、甲の平で命を落とした大力(おおちから)のことだが。首と心の臓を狙ったおぞましい山賊の仕業であったな。あの時、なれはクロ族の仕業であると言った。」
「いかにもクロ族の仕業だと申しました。このあたりでは、人殺し野郎の事をクロ族と言っております。」
「そのクロ族がわれわれを、アツミと分かって、予め待ち伏せをしていたのであれば、ただの山賊で済ますことは出来まい。クロ族の頭は、ウノであるとの噂はあるが、誰も見たことはない。浅間のカカナ神には捧げものがあり、これまで、疑いはあっても手は出せなかった。船戸よ、お主の考えを申してみよ。」
「確かに、首領(おかしら)の言う通りであります。これまで、われわれに向けられた殺意ある襲撃の全ては、クロ族の仕業に違いないと思っております。だが、クロ族とは噂のみで証拠がありません。どうか、われにクロ族の正体を調べせてください。弟、大力(おおちから)の弔いはまだ、終わってはおりません。」
すると、そこへ甲斐の山中で全滅したはずの生きのこりの者が、ふらふらと、魂を抜き取られたモノノケのように歩み寄り、石津見(いしつみ)の前で倒れた。
「船戸の頭に申し上げます。」
「おお、なんとしたことか、お前は大力隊のハバキではないか生きておったか。」
体はやせ細って衰弱し、目はうつろであったが、震えながら口を開いた。
「われはあの襲撃のことを伝えに参りました。われら別動隊は、奴らの砦の前で、一斉に矢の攻撃を受けました。大力(おおちから)は、頭(あたま)と首と心の臓に矢が刺さり、同じく周りの者の首にも矢が突き抜けて、皆、命をなくしました。われは幸いにも肩、腕、腿に三本の矢を受け、身動きも出来なかったのですが、なんとかその場を離れました。」
船戸の姿を見ると、そのハバキは、意識が戻ってきたのか、肩で息をし始めた。苦しそうではあったが、頬に赤みがさしてきた。
「どこをどう彷徨ったのか分からないまま、谷沿いの岩穴に隠れておりました。すると日が沈む前、薄明りの中、遠くで数人のハバキの声がしたので、岩穴を出て、しばらく様子を伺っておりました。声は次第にこちらに向かってきて、岩穴の前で止まり、皆は担いできたものをドサリと放りました。」
ハバキは、息が途切れ途切れに、言葉が出なくなった。再び、顔面から血の気が引いて、その場に倒れこんでしまった。船戸は身体をかかえ、水を含ませると、気を取り戻して話し始めた。
「われは、息を止めて隠れておりました。何人かが岩穴の中に入って、一人ひとりが何かをぶら下げて持ってきました。日も暮れてあたりは暗くなり、松明に火がつけられました。川べりの磐座(いわくら)に並べられたものは、どう見ても人の死体と人の首であります。最初は、熊かシシを捕獲してその祭祀かと思っておりましたが、人の死体と首に間違いありませんでした。ヒワケというものがカシラで、采配を取り仕切っておりました。すると、後ろから一人松明を持った者が現れて、死体の前に首を突き刺してあめつちにかかげ、祈りを捧げました。その祈りの言の葉は、死んでも忘れることはありません。」
ハバキの眼は焦点を失い、自分が体験した谷川の松明の明かりを見ているようであった。
「恐れ多くも、宇都志科野之久呂押之神(うつししなののくろおしのかみ)の御前に、ヒサグジに代わりヒワケが申す。石神別之頭宇乃(しゃくじわけのかしらうの)の宣命(みことのり)を受けた、毛之比古次(けのひこじ)の働き、まこと褒(ほ)め讃(たた)うべし。アツミが一族の頭(かしら)、船戸之大力(ふなどのおおちから)の首ひとつ、船戸(ふなど)の配下の者の首五つを奉じ、ここに慎んでクロオシの神に捧げ申す。」
ハバキの声は、息絶え絶えの細々とした響きであったが、ヒカネを始め、周りにいた宇都志(うつし)一族の衆は、一言一句を逃すまいと静寂の中で聞き入った。
「われは、あまりにも恐ろしく、悍(おぞ)ましい光景が、目と耳の奥にこびりついて、息も出来ませんでした。その場を逃れ、ほうほうの呈で甲の平に赴きましたが、もはやお頭一行は出発の後。このことを伝えるべく、行き交うハバキに尋ね尋ね、ようやく、ここにたどり着いた次第であります。」
と言ったまま、命が尽き果てた。
「だれか、この者の名を知っているものはいるか。船戸の配下のものじゃ。」
と、まわりを見廻したのは、ヒカネであった。
「船戸が申し上げます。大力(おおちから)はわが弟。弟の最後をこの者は、命と引き換えに、かくもこと細かに伝えてくれました。この者には心よりのまことを尽くしましょう。だが、その素性につきましては、大力(おおちから)が毛の国に参った折に連れてきたはぐれとだけ聞き及んでおります。名もなきはぐれにございます。」
「ならば、わしが名をつけてやろう。船戸(ふなど)に申し付ける。これより船戸守(ふなどのもり)として、船戸之大力(ふなどのおおちから)と共にその御霊(みたま)を祀れ。」
ヒカネは、名もなきハバキの名誉を称えた。その言葉に、アツミ衆は全員が黙礼をし、沈黙の空気が流れた。アツミの首領、石津見(いしつみ)は、ヒカネの思いを暖かく迎い入れ、船戸は、深々と頭(こうべ)をたれた。
「仰せのままに致しましょう。この者を船戸守(ふなどのもり)として、わが一族の御霊と共に、永久(とわ)に祀りましょうぞ。」
ヒカネは、船戸守(ふなどのもり)の魂に一礼をすると、改めてアツミ衆に向かうと、静かに胸中の決意を語った。
「船戸守(ふなどのもり)が見たヒワケの祭祀(さいし)こそ、クロオシを神と崇(あが)めるクロ族の正体。クロ族の頭ウノの正体。われらの首を捧げる闇の鬼神の正体である。もはや隠しおおせるものはない。ウノ配下のヒワケが襲撃により船戸之大力(ふなどのおおちから)の命は奪われた。鬼神ウノの命令であることは、疑う余地もない。われらの敵は、鬼神ウノである。」
ヒカネの決意は、宇都志の頭としての威厳を示し、一族の者たちの魂を震わせた。船戸は溢れる涙を、手で押さえながら、船戸守(ふなどのもり)の身体を抱えた。
「船戸守(ふなどのもり)よ、よくぞ弟、大力の最後を見届けてくれた。ありがたく礼を言うぞ。わが一族の者として、ともに御霊(みたま)を祀ろう。」