おはようございます
アクセサリー作家moineaujauneのにこですニコ



今日は父の日ですね。
母の日に比べてあまり騒がれない父の日にやり
父だって頑張ってるのにねぐすん


さて
父の日って事でわたしと父のお話
書いてみようかな。
楽しい話じゃないけどねてへぺろ




わたしの父は漁師でしたうお座うお座
遠洋漁業だったからほとんど家に居なくて
航海から帰ってきた父は
真っ先にわたしの元へ行くのに
赤子のわたしは毎回ギャン泣きガーン
父よごめん!





小6で両親が離婚して
父方の祖父母が大嫌いだったのと
転校したくない理由からわたしは母の元に
残ったんだよね。
父がいない生活も慣れてたし。
とっても悲しい顔してた父よ
ごめんよショボーン





離れても航海から帰ってきたら
ご飯食べに行ったりしたよね。
でもある年の私の誕生日を忘れて
おめでとうって言ってもらえなくて
多感な時期の私は
父に裏切られた気がして腹がたって
「自分の子どもの誕生日を覚えてないなんて
親として本当最低だね」って言って
そこから疎遠になったよね。
父よごめんショボーン





その後私が高校生になって
たまに学校まで送迎してくれたよね~
家が近所になってね。
病気して漁師辞めて
すっかり痩せちゃったよねショボーン






そして私が20歳の時
父は他界しちゃったんだよね。
翌年成人式だったのにね。


危篤の連絡があった時
当時携帯はなくポケベル時代
私は友だちと朝まで遊んでいて
ポケベルに気がつかなったの。


翌朝会社に出勤してから
父が亡くなったと電話がきました。


叔母が大激怒して
「お前なんか葬儀に来るな!!」
「娘でもなんでもない親不孝者が!」
「絶対に敷居はまたがせないからな!」
って怒鳴られて
私と弟は葬儀も告別式も出なかった。


お骨は拾えなかったけど
家でずっと寝ずにお線香たいて
お酒とタバコを供えて過ごし
なにより故人を偲ぶ気持ちが大切って
その時思ったから
叔母が泣いて謝罪し
告別式には出てほしいと言われても
拒否。
私は意地になり叔母を
許す事ができなかったの。
元々意地悪いっぱいされてたしね。


でもしばらく時が経ってから
父は意識がなくなるまで
私の名を呼び続けていたと聞き

あーー
後悔先に立たずショボーンって父の眠るお寺に
謝罪に行きました。
父よごめんショボーン



父との思い出は
あまりない。
お酒をいつも飲んでたなーとか
母と喧嘩ばかりしてたなーとか
そんな事ばかりショボーンショボーン





でも今ならわかるよ
父は私の事大好きだったんだねニコニコ
父なりに大切に想っていてくれてたんだね。
気がつくまで
結構時間がかかったなーー。


父よ
ありがとう♡


今年はお盆に会いに行くよ。
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24歳の父と1歳の私
私は父に似ているのだウインク