モチモのブログ


今日、職場で勤めていた方が退職された。

総勢90人ほどがいるフロアー。
それでも毎日仕事をすれば、直接かかわらなくても、顔ぶれは分かる。

都心だからだろうか?人数が多いからだろか?
結構挨拶を返さない人が多いんですよね。

私は挨拶しないとちょっと嫌な気持ちになるので、
返ってこようと返ってこまいと挨拶しながら会社に出勤して、帰りも同じ。

今日退職された方は、「私は挨拶しないの」と、いつか話した時に言っていたのね。

しても返ってこないし、わざわざ面倒くさいって。
だから周りを見ないようにして歩いているって。

すれ違っても、自然と顔をそむけるのね、その人。
私に対してだけじゃなくて。。。
まるで目に映らない、っていう感じでね。
会社までの地下道でも、社内でも。。

悪い人じゃないよ。

そういういみでは、人見知りの人も多いのかもしれない。
人見知りじゃなくても、関わらない人とは挨拶しなくても気にならない。

挨拶をわざわざしなくても気にならないのかもしれない。
さばさばした東京砂漠。

きっと疲れちゃったんだよね。。

大人って言うのは挨拶しないものなんかな。。
ここに来てから、そう思うことがよくある。
自分が子供なわけではないのだけれど。


いつかの通勤の途中。
電車で立っていた女性が座りこんだ。
え?と思った。
朝はそれなりに混雑している電車だから周りも沢山人がいる。
でも、あと少しで終点。

周りは誰も声をかけない。
なんだか少し離れた私も声をかけられなかった。

昨日も、駅の連絡地下道で、学生さんらしき人がすみっこに寝転がっていた。
ちょっと苦しそうな顔して眉間にしわを寄せて。

え?って思ったんだけれど・・・。

ものすごい人が通勤ラッシュの時間、その横を通り過ぎていく。
ちらっと見る人もいれば、振り向きもしない人もいる。

私もその人たちと同じように、気にはなったけれど、通り過ぎた。
乗り継ぎ乗り継ぎで、いつ電車が遅れるかわからない不規則な朝のラッシュ。

気分悪そうな人、駅構内でよく見かけるよ。
ほとんどの人は、その人が見えないかのように横を通り過ぎる。

私、自分のこと、時々ゾッとするんだよね。
まるで自分がモノになったような感じで、認識はできるのに、同じように流れて歩いて素通りする。
特に朝は、そういう自分を何度か経験している。

今日は杖をついた初老のおじさまが電車に乗ってきた。
朝のラッシュ時。

みんなスーツ姿の人は爆睡している。
おぼつかない足元で杖をつきながら入り口近くの手すりにつかまる姿。
電車が揺れるたびに危なげな足元。

もちろん私はいつも立っている側だし、目を開けている人なんていない。


すると離れたところから大きな声が聞こえた。

「お父さん、お父さん、こっち来て座んなさい」

優先席に座っていらした初老のご婦人が席を譲られた。


朝、物質化している自分の心が温かい気持ちになった。
同時に恥ずかしさもあった。

なんなんだろうね。
この心が固まったような感覚って。

恐いね。
こういうふうにはなりたくないって思っているのにね。


大切なもの 手放した

とても大切だけれど、その感情にこれから自分は耐えられる自信がなかった

共通の友だちがいたら、もっとよかったなぁ

そしたら話せないことがあっても、どれほどたくさんあっても

少しだけ聞いてもらえたら、一人で苦しんだり、考えたりせんでもよかったなぁ

気がつけば、話せる友だちだった人さえもいなくなっていて

ホントに一人になってた

でも、それでも歩くしかない

大きく描いた夢も もうなくなってしまった

3月11日に湧き出た思いにも一区切りつけて

ちょっと時間をかけながら

物を整理して、気持ちを整理して

いつもの自分に戻るだけや


そしたらまた自由も戻って来るやろ

それからまた考えよ


モチモのブログ

春のうた    草野心平

ほっ まぶしいな
ほっ うれしいな

みずは つるつる
がぜは そよそよ
ケルルン クック
ああいいにおいだ
ケルルン クック

ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。

ケルルン クック
ケルルン クック


小学校1年生か2年生の国語の時間で習った。
みんなでそろって朗読するたびに、教室いっぱいに響く大きな声。

この詩のリズムがとても好きで、今も春に散歩をすると、ふと口ずさむことがある。

4月といえば、母方のおばーちゃんちで、春のお祭りが毎年あった。
きちんと聞いたことはないけれど、田植えの季節にちなんだ昔からのものだと思う。

毎年第2土曜か第3土曜だったから、泊りがけで行くのが楽しくて楽しくて、
妹と何週間も前から荷物の準備をチラシの裏にイラスト入りで書きこんではワクワクしていた。

おそらく、今も続いているのだろう。
そしてこれからも続いてほしい。私はそこに行くことは今はないけれど。

その際に獅子舞があって、それぞれの家に回ってきた。
子供たちは、獅子に頭を噛んでもらうと賢くなる、と言われていて、
親たちに「噛んでもらっておいな~」と背中を押される。

妹とこわごわ、大きな口の獅子舞の前に頭を出してびくびくしていたものだ。

そして噛んでもらったら、これで賢くなった!と、どこか安堵したものだ。
子供心に神頼み(笑)

そのお祭りの頃には、おばーちゃんとおじーちゃんがつくし取りに連れて行ってくれて、
帰ってきてからつくしのお惣菜を作ってくれるのだ。帰ってきてから広げた新聞の上で一生懸命はかまをとる。
夕ご飯に出てきたそれは、とてもおいしかった。

時にはヨモギも採りに行って、ヨモギ餅も作ってくれた。
春の匂いがいっぱいあった。

細い道に入れば、土埃の経つアスファルトのない田舎道。
タンポポを初めとする春らしい黄色の鮮やかな花が、
ささやかながらあちらこちらに咲いていた。

おばあちゃんたちが乳母車を押して挨拶しながら通り過ぎる。

田んぼには、おたまじゃくしやらアメンボやらザリガニといった、
わたしにとっては近寄りがたいものがたくさんいた。

同い年くらいの男の子たちが、それらを捕まえるのに夢中な姿。
田んぼは格好の遊び場だった。

母もかつてそのように育ったためか、
幼い頃のわたしに裸足で田んぼに入るよう勧めたものの、
足を入れるなり私はすぐに逃げ出した記憶がある。

私の春の記憶と思い出。
なんだか遠い楽しかった春だな。
本当なら、どこにでもありそうな春なのに、なかなか探し出せないそんな春。

そしてそんな春をまた見つけに行きたいとまた思った今日の日曜です。