こんにちは

もーさんです



先日、京都に行ってきました

京都に行く用事

母の命日にあたり

墓参りに行ってきました



今日は母のお話をしようと思います

内容が重たいので

お辛い方はスルーしてくださいね

 


私の母は父の後妻で

私には異母兄弟がいます

優秀な兄と比べて

私が肩身狭い思いをしないように…

母自身、親戚からバカにされないように

私を厳しく育てました



母は感情のコントロールが難しく

暴言や暴力、虐待があるかと思えば

優しいときもあり

絶えず母の顔色ばかりみていました



私も期待に応えようとして

母のために

母が喜ぶように

「いい子」を演じて生きてきました



しかし

そのことによって

結果的に私は「自分」をなくしてしまい

うつ病にもなり

自分自身を壊してしまいました



その時は

全て自分自身が悪いんだ…

と責めてばかりでした



しかし

時間が経つにつれて

自分自身を取り戻すにつれて

いままでは

常に母や人のために

自分を犠牲にして生きてきたんだ…

母や相手に認めてほしいがゆえに

無理してきたんだ…

ということに気がつきました



それからは

母とは疎遠になりました

母が近くにいるだけでとても苦しかったのです




4年前の3月ある日の夕方

職場に警察からの電話がありました

「母と連絡がとれない」



母はアパートで1人暮らし

新聞が3~4日溜まっているのを新聞配達員が不審に思い、町の社会福祉協議会の人がアパートに駆けつけると応答がないということでした




急いでアパートに行き鍵を開けると

ドアチェーンロックがかかっていました



チェーンを切ってもらい中に入ると

母は浴室で冷たくなっていました



母は心臓に持病を持っていました

血圧は毎日欠かさず計り記載していたのですが、ある日を境に記録が途絶えたこと



その翌日は循環器内科の受診予定でしたので

受診のために

お風呂に入ったのでしょうね

入浴中に心不全を起こしたのではないか…

ということでした



警察やレスキューが引き上げ

翌朝の葬儀屋さんが迎えにくるまで

冷たくなった母と一緒に過ごしました



数日間、水に浸って皮膚が軟らかくなり

触れることで皮膚が損傷するかもしれないと検死した医師が言いました



私は隣で

ただ涙することしかできませんでした



とても寒い夜でした

この寒い中に長い間お風呂に浸かっていた…

早く見つけられなかったこと…

孤独にさせてしまっていたこと…



ただただ涙するこしかできなかったです…




母は生前8年前、お墓は樹木葬がいいといい
京都のお寺で申し込みをしました
「樹木葬はサクラがいい」といいました



毎年3月に、墓参りに訪れています
今年は初めてサクラが咲いているのを見ました


母のことを思い出すと
「申し訳なかった」という思いですが
最近になって
楽しかった思い出を少し思い出せるようになりました


それと同時に
母も1人の人間として生きづらさを感じていた…
と思えるようになりました   


私自身の存在意義をずっと考えていました
母のために生きてきた訳ではなく
生まれてきた自分のために
生きてもよい
という感覚が少しずつ芽生えてきました


うつ病と診断され12年
常に不安はありますが
最近、お薬を飲まなくても冷静でいられるようになりました


子どもの頃の自分
12年前の自分に向けて
「誰も悪くない」
「ありのままでだいじょうぶだよ」
「ちゃんとみんなわかってるし、見守ってる」
「寂しかったし悲しかったね」
「十分がんばってきたよ」って
言ってあげるようにしています


今日はどうしても母のことを
書かざるを得ませんでした
最後までお付き合いしてくださり
ほんとうにありがとうございました


今日の冷たい雨は
明日には上がるかな
お身体ご自愛くださいね