人の役に立ちたいとか人の為とか
そんな事は意図して出来るものでは無いんだろうね。
〜してあげたいとか
そんな風に思う事って無駄だなと思えてきた。馬鹿馬鹿しい。

「家族に勧めてもやりません。どうしたら良いですか?」って質問に
「自分がそれをやって、病気を治して、元気になる姿を見せる事で家族も変化してきますよ」って。
とんでも治療をやっていた時に教わったが、これは結局は調和の成せる技だったんだなと。
身体が元気になるだけでなく、その直向きに立ち向かう姿と、それによって変わった笑顔を見て、こころが動かされる。

僕も、ぼくのとこにきた子が、良くなって、必要以上に元気になった姿を見ては自分のこと以上に嬉しくて、胸になんとも言えない感覚を覚える。愛おしさを感じる。その姿と想いを見ていたから。
立ち上がるとか、自分を変える事の大変さを良く知っているし、その勇気を讃えたいと思う。あんな鬱で、病気で弱々しく、打ちひしがれていた姿からの変革に感動しちゃうわけだ。

何の役に立ってもいないだけでなくそんなストーリーを見させてくれるんだから。
100%本人が偶々やり遂げたんだなって、今はよくわかる。

人は他人に何かなんて微塵も出来ないことが嫌と言うほどわかったから。
共感、調和、理解、統合
そう言う気持ち、状態は他人自身に認識を体現化する力がある。
だから、想いがないなら、言っても無駄。話すだけ無駄だ。
周波数でもあるので、熱く語ろうが、テキトーだろうが、、同程度の想いとならないなら伝わらないね。

奢りかもしれないけども、所謂一般的な人よりはかなり経験を積み、どうしても同じものを見ても深く、奥が見え感じてしまうから、、熱量が多なってしまう。
そんな舐めてたら大変な事になるよ。。
と思ってしまうんだが。。
なので、波長は合わず、伝わらない。
無駄に恐怖を感じて、わちゃわちゃして終わり。
難しいね。