瞑想していくことで色々な感覚を感じるようになる。
始めは荒い感覚から始まり、どんどんと微細な感覚を感じるようになる。
その感覚は流れる様なものやチクチクするものなど色々ある。始めは虫やゲジゲジかな?って思ったりもするんだが、それは結局は本人の今迄の経験からくる妄想で実際は恐らく違う。血液、気の流れや細胞の動き、入れ替えなんかだと思う。
この微細な感覚がわかるようになる時、心はかなり静まっている。自分の中に在る。

僕らはコレらの感覚を無意識に感じ続けてきたわけだけど、これが意識下に降りてくると自然とより同化する状態になる。
肌に空気、風があたる感覚、息が鼻の穴、喉を通る感覚。葉の緑の鮮やかさ。草花の力強さ。鳥の囀りの細部まで聴こえてくる様になる。
自然は何処までも美しく愛に溢れていると感覚を通してわかるようになる。風が当たるだけでえも言えない穏やかな心地になる。
そうできている。

それが現代社会に生きる殆どの人はそれらの微細な感覚を感じる事が出来なくなっている。背中に服の布が当たっている感覚さえわからない状態だから。。
その状態で人を見て、言葉を発しているのだから。。それは粗々しいものとなって当たり前だし、目の前にあるものが見えなくて当然となる。。そして、見えなければ見えないだけ、周りを見ようとし余計見えなくなる。そして荒げる。

足し算ばかりの日々を、一度引いてみたら?
と言うのが手放しであり、赦しなんだと思う。
愛はもう既に在るのだから。
それが見えるか、感じられるかは自分のセンサーの話なんだよね。