僕は何人も病人を治してきた。
僕のところに来た人、全員が治ったわけでは無いけども。
勿論、選択は自由だけども、今迄の習慣が今の自分を作り出しているのだからそれらを根本的に変える必要がある。
それは高齢者や病人にとったら難しいこともよく分かる。だって大体の苦悩は執着、所謂頑固からきているから。信念は肯定的な表現だけれども同じだ。私と乖離させるものだから。
信念を貫いてきた人、、要は努力家と言われてきてしまっている人は尚更自分を見直すことが難しい。私はやっている。私は知っているがあるから。
病気になってまでそれらを手放せない。
それらを「自分」と勘違いしているから、恐怖がある。

「家族にこの食事を勧めるが、全くやらない」と言う話しを良く聞くし、実際僕の両親もそうだ。
この頃、それらを教えていた人はこう言っていた。
「先ずはあなたがそれらによって肉体面、感情面、精神面で健康になって、それを見せれば良い」と。
人は言われたら考え、マインドに落とし込む。そして反発と言う選択をする。
そうじゃなくてただただ近くでそれを感じてもらう事で人は変わる事が出来る。
イメージを与えると言う事だとも思う。
だから、出来る限り、人に直接会って話をしてきた。逆に会わないならより難しい。人はそう言うものだ。お金や物を送れば信頼関係を築けるわけではない。感じて理解している。

デモなどの怒り恐れのイメージでは無く、僕達自身が先ず疑う事のない幸福を持つことでそれらは伝播していく。
10人豊かな心を持つ者の中に一人怒っている人がいて、いつまでその怒りを持ち続けられるのか。
必要なことは、先ずは本人は癒し、周りは赦しと言う理解だと思う