北海道を代表する特急といえば「おおぞら」。
「いや、「北斗」じゃねえ?」という声もあるかもしれませんが、デビューから63年、一度も列車名が絶えたことがなく、且つ運転区間、経由地に多少の変遷があっても、基本的には一貫して釧路までお客を乗せて走り続けているという意味ではやはり「おおぞら」は北海道を代表する特急だと思います。
今は札幌発着としている「おおぞら」ですが、当初は函館発着でした。
航空機網が発達する前の東京・大阪対北海道は鉄道輸送がメインで、如何に早く目的地まで到達させるかが至上命題でした。でも、本州側は幹線が電化されて優等列車の一部が電車に置き換わって多少のスピードアップが図れたのに対し、青函連絡船は3時間50分の運航を廃止まで継続され、北海道側も一部を除いて電化が進行しないがために、どうしても北海道で足踏み状態になります。その航空機網が発達すると、国鉄も諦めたか、輸送シフトを函館優先から札幌優先に切り替えて、尚且つ当時の千歳空港に駅を設置して、航空機の利用客を呼び込む方針を展開しました。
昭和56年以降は石勝線を経由するようになった「おおぞら」ですが、それ以前は函館本線を滝川まで走って、そこから根室本線に入るルートでした。石勝線の開通で相当な時間短縮が実現しましたけど、それでも函館と釧路は遠いですよね。
ところで東京-釧路間の鉄道移動、昭和と令和を比較すると、どれだけの時間差になるのでしょうか?
比較はなかなかムズいのですが、参考までに。
【昭和国鉄】 【令和JR】
上 野 15:30発 東 京 8:18発
↓ (特急はつかり11号) ↓ (はやぶさ7号)
青 森 0:13着 新函館北斗 12:15着
青 森 0:35発 新函館北斗 12:34発
↓ (青函連絡船1便) ↓ (特急北斗11号)
函 館 4:25着 札 幌 16:04着
函 館 4:45発 札 幌 17:26発
↓ (特急おおぞら1号) ↓ (特急おおぞら9号)
札 幌 8:57着 釧 路 21:50着
札 幌 9:03発
↓
釧 路 15:13着
となります。
国鉄時代はほぼほぼ1日かけての移動なのに対し、令和を見ると、一応、その日のうちに釧路へは辿り着けます。しかし国鉄時代のような接続は全く考えていないことがよく判ります。因みに航空機は羽田⇔釧路間が平均1時間半余りなので、その差は歴然。しかも1日6往復が設定されているので、これでは鉄道による輸送シフトが衰退するのも頷けます。空港から釧路市の中心部まで少し離れているのは致し方がありません(鉄道で言うと、根室本線庶路駅と大楽毛駅の間)。
国鉄時代の「おおぞら1号」は昭和55年12月現在の時刻ですが、53.10改正以前は確か、倶知安も千歳も富良野も池田も停まりませんでした。3往復設定されていた「おおぞら」の中でも最速の列車だったのですが、本州側の「はつかり」もまた、列車番号1Mは「はつかり」の中でも最速列車でした。それでも1日仕事だったので、釧路へ帰省する方々はある種の覚悟が必要だったわけです。往路でこれだから、復路も地獄ということになりますよね。
画像はいつ撮られたかは不詳ですが、まだキハ183系が登場する前、あるいは試作編成が登場して営業運転に就きながら各種試験を実施していた頃かなと思ったりします。キハ183系が本格量産されると、キハ82系の主力としての立場も少し揺らぎますが、食堂車もしっかり連結されているし、「まだまだ若いもん(キハ183系)には負けられんばいっ!」とエンジンを吹かしながら走る姿は何とも言えない勇ましさを感じます。昔は嫌いだったけど。
冒頭お伝えしましたが、運転開始から一度も列車名が途切れない長寿特急は「おおぞら」の他に「しらさぎ」「あずさ」「わかしお」「さざなみ」「しおさい」「ひたち」「しおかぜ」「南風」「ひだ」「くろしお」辺りがあります。「きりしま」「まつかぜ(スーパーまつかぜ)」のように一度途切れて復活するというのはありますし、「こだま」や「はやぶさ」のように在来線から新幹線というのも幾例かあります。
新幹線の「ひかり」「こだま」は在来線から新幹線に列車名が転じた先駆けとして著名ですが、今や在来線時代よりも新幹線時代の方が長くなり、今年めでたく60年を迎えます。また北陸特急の「しらさぎ」も今年60年になります。
在来線から新幹線の例だと「つばめ」「さくら」「かもめ」辺りが長寿と思われがちですが、どれも一旦、途切れてますよね。だからこそ、「おおぞら」の63年というのは稀有な例だと思いますし、特筆すべき事だと思います。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
日本鉄道旅行歴史地図帳第1号「北海道」 (新潮社 刊)
時刻表各号
ウィキペディア(釧路たんちょう空港、根室本線など)