東武鉄道本線系統には日光・鬼怒川方面にスペーシアが、伊勢崎線系統には200・250系による「りょうもう号」が運転されています。
スペーシアや日光線系統の話しは次の機会にするとして、今回は「りょうもう号」について語りたいと思います。
まずは一般的は「りょうもう」と呼ばれていますが自分個人としては「りょうもう号」と号付けをして呼んでいます。
これはJRに両毛線と云う路線があり、それと差別化の意味もあって敢えて「りょうもう号」といつの間にか呼んでいました。
現在の200、250系の前は急行として1800系が、りょうもう号として活躍していました。
彼はWiki先生に依ると昭和44年9月デビューとなっています。
ちょうどボクが物心がついた頃で
初めて1800系を見たとき、地味な塗装の東武の車両の中に突然真っ赤な電車が颯爽と現れ
「なんじゃ、この赤い電車は」と覚えています。
ちょうど、北千住~竹ノ塚間の複々線化工事の真っ最中でした。
しばらくしてまた東武電車に乗る機会があり、1800系を目撃しましたが「あれ長い」と思いました。
利用者が多くなったので4両から6両になったのでした。
1800系がデビューしたのが物心がついたぐらいですから、その前の5700、5310系の伊勢崎線急行は知りません出したが、日光線系統の快速急行「おじか」を七五三参りの帰りに見たのを覚えています。
大雨の中『快速急行・おじか』のヘッドマークも誇らしく西新井駅を颯爽と通過して行きました。これがトラウマとなり、末期の57系は情報が入ると撮影しに出かけてました。因みにガキの頃はこの57系を「ボロい快速」と呼んでいました
余談ですが弟は北千住に乗り入れてくる東急東横線7000系を「四角い日比谷線」と呼んでいました
さて、りょうもう号は1800系化されるまでの一時的、急行「おりひめ」と命名された時期もあったようです。
写真のように、一時期、上毛電鉄の中央前橋まで乗り入れた時期も存在したようです。
急行「おりひめ」の由来は沿線の足利、桐生に織り姫神社があり、当時の桐生、伊勢崎地域は織物の街として有名でした。
りょうもう号が200,250系化される時に、特急「おりひめ」と名前を変えて欲しかったです。
なんか、ロマンチックで女の子ウケしそうな名前に思えました。
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