音楽でも聴きながらご覧下さい。

おはようございます鉄太郎です。


昨日まで我が熊本は雨。連休中は激しく雨が降った。本日は朝から曇り空である。


私はもう直ぐ今の仕事場をクビになりそうです。

さて、本日は「愛国から幸福へ」でもお話いたしましょう。

国鉄時代に話題になった北海道は広尾線の駅...「愛国駅」「幸福駅」。

「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズで過去に切符が飛ぶように売れた。

私からすると「愛」「幸福」など羨ましい言葉だが、現在も恋人同士や新婚さんがやってきては幸福祈願に集まってくるらしい。
(幸せな人の背後に守護霊のようについて行きたい)

「愛国駅」「幸福駅」は1987年に広尾線の廃線にてなくなったが、現在でも駅名を刻印した入場券や切符が販売されて、観光地となっているようだ。

「幸福駅」は1973年にNHKの番組で紹介されて、「愛国駅から幸福駅ゆき」という切符が一大ブームになった。

1972年には「愛国から幸福ゆき」の切符はわずか7枚しか売れなかったのに1973年は300万枚も売れたそうだ。

「幸福」という駅名はなぜ付けられたのだろうか...?  

もともとはこの一帯はアイヌ語で「サチナイ」と呼ばれていたらしい。

「サチナイ」とは「幸福」とは真逆だ。
「サチナイ」は漢字で「幸震」と書いたらしい。

しかし、幸震でサチナイとは読みにくい。そこで、この一帯に多く住んだ福井県の開拓団を歓迎して「幸」と福井県の「福」で幸福と呼ぶようになったらしい。

ちなみにアイヌ語で「ナイ」は小さな川のこと。「稚内」とか「○○内」など...。

「幸震(サチナイ)」は乾いた小川のことだったらしい。

また、「苫小牧」...など「○○枚」も同様に川。そして、北海道には「登別」「紋別」…など「○○別」は大きな川を表すそうだったらしい。

北海道の「○○内」「○○枚」「○○別」はすべて川のことらしい。

川を登り産卵にくる鮭を捕獲して生活していたアイヌの人たちには、川は恵を与えてくれる大切なものだったのだろう。

だから、「内」「枚」「別」等を名付けた。

私はみなさんの夢を奪うバク的な妖怪ではありません。愛国から幸福へ...私は皆様がそうなるよう心より願っております。

本日は水曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょう。

本日も皆様に少しの幸せが届くよう心よりお祈りいたしております。

鉄太郎。

本日もブロ友さんの写真をお借りいたしております。