音楽でも聴きながらご覧下さい。

おはようございます鉄太郎です。


昨日の我が熊本は小雨が降り続く1日でした。


職場の帰りは先週の金曜日に何時も持ち歩く頭陀袋(薬等が入っています)を忘れていたために焼き鳥屋さんに立ち寄った。


さて、「参勤交代」。江戸時代にあった制度のひとつであり、大名行列が行われたいた。

徳川将軍家に対する軍役奉仕を目的とした制度であり、諸大名は1年交代で、江戸と領地それぞれに在住することが義務付けられていました。

参勤交代により社会秩序が安定した他、文化の発展や交通の発達など、多くの利点があった一方で、諸藩は大きな財政難に陥り、結果として江戸幕府崩壊の一因になったとも言われています。

参勤交代の大名行列は石高により参勤交代の大名行列の人員が変わった。

特に加賀藩は加賀百万石と称されていますが、実際の石高は119万5000石だったとか...?

領地は加賀、能登、越中の三カ国のほぼ一円。外様の雄藩として幕府も警戒を怠らなかったらしい。

加賀藩の参勤交代は2000人を超えたともいわれている。

また、大名行列には多くの藩士が随行していましたが、道中の農民などを雇っていたらしい。

また、大名行列の掛け声は「下に、下に〜」がお茶の間の皆様にはテレビ等で聞いたことがあると思いますが、実際は御三家(尾張、紀州、水戸)に、御三卿(田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家)を総称した所だけだったらしい。

また、他の大名の参勤交代は「避けろー、避けろー(端に)」だったとも言われています。

中には、大名の中ではお金が参勤交代ではかかるので、数年の間江戸に常駐し、今でいう単身赴任をしていた人もいたそうです。

さて、本日のお話は「大名行列」です。実は、この大名行列は、明智光秀の発案者と言われている。室町時代はどこの大名もゴチャゴチャと一緒になって移動していた。

ある時、主君の織田信長から「何か天下に織田軍の威勢を示す行事を考えろ」と命じられ、大名行列を様式化し示威的な性格を帯びたものにすることを思いつく。

こうして、作法が整えられた大名行列は、美々しい鎧武者(よろいむしゃ)などを立て並べた豪華な演出で、見る者の度肝を抜く行列となった。(伊達家の大名行列がタイムトラベル出来るならみたい)

大名行列は北朝鮮や旧ソ連などの軍事パレードの先駆である。江戸時代には、参勤交代で大名行列は、幕府が諸大名の経済力を削る手段となった。

ちなみに、時代劇で江戸時代の大名行列が通行するときは「下に~、下に~」の掛け声を聴くが、あれは徳川御三家のみ、他の地方大名の行列は「よけろ~、よけろ~」だったそうだ。

長くなったついでに、明智光秀は信長から「キンカ頭(ハゲ頭)」と呼ばれていた。

一説には光秀の「光」の下部分と「秀」の上の部分で「禿(はげ)」と洒落で呼ばれていただけで、実際にはハゲではなかったらしい。(禿げでなかったことは羨ましい)

私は髪が少なくなってきているので「生えろー、はえろー」の掛け声でも...かけますかね。

本日は木曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょう。

本日も皆様に少しの幸せが届くことを心よりお祈りいたしております。

鉄太郎。

本日もブロ友さんの写真をお借り致しております。