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おはようございます鉄太郎です。
昨日は通院日の鉄太郎である。皆さんが驚くほどの薬を持ち帰った。
昨日は東日本大震災から13年と3ヶ月だった。また、能登半島地震から6ヶ月と11日目だった。
本日は2011年3月11日の東日本大震災で津波から守った男をご紹介しましょう。
岩手県は三陸海岸沿いの普代村である。人口は約3千人である。
主な産業は漁業である。東日本大震災で普代村は浸水は1軒もなく。死者もゼロである。(東日本大震災の津波の高さは23.6mだったという)
村を守ったのは防潮堤(海抜15.5m全長205m)の防潮堤と普代水門(15.5m)である。世界から津波から守った奇跡といわれ世界から注目を浴びた。
この防潮堤と水門を手がけたのは普代村の元村長、和村幸得さんだ(1909〜1997年)。40年もの歳月をかけて防潮堤と水門を作った。
和村幸得さんは1933年(昭和8年)3月3日、午前3時、昭和三陸地震にて普代村は大津波に襲われる。普代村の死者137名と悲惨な現実を見たのだ。
(和村幸得さんが24歳の時である)
また、過去には1896年(明治29年)6月15日にも明治三陸地震時にも大津波によ196名もの犠牲もあった。
1962年普代村防潮堤(15.5m)が完成。1972年普代水門着工、1984年完成(こちらも15.5m)。
そんな巨大な防潮堤に水門が必要なのか村人や県からは疑問の声があがったという。
しかし、明治三陸地震・昭和三陸地震・チリ沖地震(津波6メートル)にて岩手県では多数の死者から普段村の人命を守るため和村幸得元村長さんは一歩も引かなかったという。
普代村の高台の墓地には明治三陸地震・昭和三陸地震で亡くなった方々の同じ日付の墓があるという。
国や県から大きな反発を受けながらも村人を守る元和村村長は一切の妥協はしなかった。
また、防潮堤を越えて津波が押し寄せる予想される地域の民家を別の村の地域にも移転させている。
我が日本は地震大国であり海に面している限り津波は今後も避けられないだろう。
津波は国際的にもTSUNAMIである。
火山大国日本・地震大国日本・津波大国日本...日本国は本当に守ってくれているのだろうか...?
(東日本大震災では22,318人死亡か行方不明者である)
我が日本では津波・地震・火山に対して人命を守る体制は出来ているのだろうか...?
また、日本国防衛に対しても不安が残る。
人命・財産(世界一国債を発行している国である)を守る?
福島・宮城・岩手県では防潮堤の建設が進み住民が高台へと住居を構えるようになりつつある。
しかし、南海トラフ側の神奈川・静岡・愛知・三重・和歌山・高知・大分・宮崎県側の太平洋にある防潮堤は大丈夫なのだろうか?
東日本大震災にて原発も破壊され原発の廃炉や除染や賠償等にて21兆5千億円とか...?
和村幸得さん、元普代村村長の名前は絶対に私は忘れないだろう。
最近では世界各国でも地震。国内でも地震が多発している。我が日本は火山・地震・津波大国である。
日本国民の生命・財産(私には全くないが)を守るための防潮堤の整備や国防の進捗は大丈夫だろうか...?
国の防災管理センターは立派な建物だが、その前に防潮堤の拡張や地震での建物崩壊がないようにして欲しいものである。県や市町村に任せていては手遅れになる気がする。
国会議員の方々は65歳を超えても高給取り(給料・ボーナス)である。
問題のパーティーを開催してはお金を集め、月100万円の文書通信交通滞在費、何に使用されているか今は全く分からない。
選挙区までの交通費は無料の筈である。政治献金、政党助成金等(共産党は除く)で潤っている。
また、政治区までの新幹線や飛行機は無料でグリーン車・ファーストクラスを使っているという。
国会議員は年金や医療費には全く関係がないので実感がないのだろう。
国会議員とはそんなに偉いのだろうか?
大辞林によると、先生とは師匠・教師・医師・弁護士・国会議員などを敬って呼ぶ語(本来は自分より先に生まれた人を先生と呼んだ)。
果たして私たち国民は国会議員を敬っているのだろうか...?
私は国会議員さんには一度も会ったことはないが選挙の時だけ高らかに宣伝車で名前を聴く。国会では欠伸に欠席も多い。
長く生きてはいけませんね。生活保護世帯が増えるのも理解できるような気持ち。私も生活保護を受けたい。
誰か私に毒でも下さいと言いたい気持ちです。(早く死ねます。)最後は愚痴になりました。すみません。
本日は水曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごしていきましょう。
本日も皆様に少しの幸せが届くことを心よりお祈りいたしております。
鉄太郎。