おはようございます鉄太郎です。

昨日は曇り空の我が熊本でした。私のアパートの風呂場にトイレの電気が治りました。

大型連休前から続いたトイレに風呂場の電気が回復いたしました、

本日は雨の予報です。私の住むアパートの向こう側は台地(京町・池田)である。石垣の上には民家が数件あるが木が生い茂っていたがカットされ、崖が綺麗になった。

崖の側は土砂災害注意(警報)と言われても、避難すべきか、全く問題がないのか判断がつかず考えてしまう。

アパート近くのバス停は「かんかん坂入口」である。シラス台地で戦中には防空壕が幾つもあった地域である。

考えても仕方ないのだが地震に雨はうんざりである。

本日は母の日、超高齢者の母には一昨日電話した。本日は雨の予報だが洗濯だ。

本日はロダンの彫刻「考える人」についてご紹介しましょう。

タイトルといい、肘をついて考えているようなポーズ、何か物思いにふけている姿。いったい何を考えているのだろう。

(考える人は筋肉質。デブ・チビ・ハゲでキモい。脚を組むことも出来ない鉄太郎とは全く相違する)

ロダンの彫刻、「考える人」は「考えている」のではなく「見ている」のだという。

それも、罪人たちが落ちていく様子を上から眺めているのだそうだ。

「考える人」は、もとはロダンの「地獄の門」という大作の一部だという。

「地獄の門」はボードレールの「悪の華」やダンテの「神曲」などの文学作品やミケランジェロの芸術作品などを参考にしてつくられたそうだ。

「地獄の門」は高さ6メートル、幅3メートルの門を罪人たちが通り、地獄へ落ちていく地獄絵図が立体的に描かれているそうである。

その中で、ロダンの彫刻「考える人」は、「地獄の門」の下に広がる地獄を上から覗きこんでいるそうだ。

一説には「神曲」の中で地獄を見て悩むダンテの姿だとの説。

ミケランジェロの「最後の審判」のキリスト像に似ている説もある。

いずれにしても、「考える人」というよりは「見てる人」の方がピッタリの彫刻だろう。

事実、ロダン自身が「考える人」と命名したのではなく、鋳造家のリュディエという人物が命名したらしい。

地獄を見ながら何も考えない人物はいないだろう。

きっと人間の運命について深く思いをめぐらせているのだろう。

「見ながら考える人」が正式名かも知れない。

私、鉄太郎は悪態ばかりをしてきた人生である。

「見ながら考える人」には私が地獄へ向かう絵図が見えているのかも知れない。

さて、本日は日曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごしていきましょう。

私はもともと、雨妖怪男だが「てるてる坊主」でも作る気持ちで、過ごして行きたいと思います。

本日も皆様には少しの幸せが訪れることを心よりお祈りいたしております。

鉄太郎。

本日もブロ友さんの写真をお借り致しております。