音楽でも聴きながらご覧下さい。
おはようございます鉄太郎です。
本日は弥生の最終日ですが、我が熊本は朝から晴れています。
私は朝風呂に浸かり無精髭を剃り落としました。
さて、本日はサラリーマンのお話です。
サラリーマン・スーパーマン・スバイダーマン・ウルトラマンは凄いとおもいます。
我が日本でサラリーマンが誕生するのは明治時代とされているが、それ以前にすでにサラリーマンをした男がいた。
会社がないのにどうしてサラリーマンになれたのか不思議な話。
最初のサラリーマンになった男の人生をたどると謎が解ける。
その男の名前は浜田彦蔵。天保8年といってもピンとはこないので西暦1837年、船頭の子供として播磨国(はりまのくに現在の兵庫県)に生まれた。
西暦1850年(嘉永3年)に船で江戸に行った帰りに、暴風雨にあい漂流していたところをアメリカ船に救助されて渡米。
そして教会で洗礼を受けて名をジョセフ・ヒコとした。
1858年にはアメリカの市民権をえて日系アメリカ人の第1号となった。
1858年にはアメリカの市民権をえて日系アメリカ人の第1号となった。
ジョセフ・ヒコは皿洗いなどをして生活費を稼ぎながら学校にも通った。
その後、サンフランシスコの税関長の知人となり関税長の紹介で「マコンドレー」という会社に入社(貿易商品の委託販売)したことがサラリーマンの第1号とされている。
ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)は、1853年には、第14代アメリカ大統領(ピアース)。第15代大統領(ブキャナン)。第16代大統領リンカーンと各大統領とも会談し握手する。浜田彦蔵は日本人として最初の会見した人物でもあるのだ。
その後、サンフランシスコの税関長の知人となり関税長の紹介で「マコンドレー」という会社に入社(貿易商品の委託販売)したことがサラリーマンの第1号とされている。
ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)は、1853年には、第14代アメリカ大統領(ピアース)。第15代大統領(ブキャナン)。第16代大統領リンカーンと各大統領とも会談し握手する。浜田彦蔵は日本人として最初の会見した人物でもあるのだ。
さて、本日は日曜日。3月も残り数時間だが、本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょう。
本日も皆様に少しの幸せが届くよう心よりお祈り致しております。
鉄太郎。
昔の写真があったので貼り付けます。