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おはようございます鉄太郎です。
昨日の我が熊本は朝は雨で風が強かった。出勤時に職場近くの駅に傘を忘れた。(ビニール傘)
駅から職場まではバスと歩きだが、歩きで職場へ向かう途中は風雨に濡れ風が強く横殴りの雨だったが何とか到着した。
昨日、我が熊本は桜の開花だった。
本日は晴れの良いお天気。通勤途中、春告鳥の鳴き声や早いが燕を見た。
さて、本日は「お百度を踏む」のお話でもいたしましょう。
なかなか相手に「うん」と言ってもらえないような場合、何度も依頼に行くことを「お百度参り」とか「お百度を踏む」という。
これは病気の平癒祈願のように人事を超える難題の解決を願って、ある人物に百度お参りすることを「百度詣」「百度参り」といったことに由来する。
百度参りは、平安末期から貴族の間でおこり、中世以降に一般市民にも広まった。
最初は霊験あらたかとされる有名な神仏に、毎日毎日百度ずつ参っていたが、一日だけ百度参る省略された形式が生まれた。
寺社では百度参りしやすいように境内に百度石を立て、本堂との間を往復参拝できるように取りはからったり、回数を間違えないように掛札がかけられるようにした。
貧しい庶民に百度参りが浸透し、人々は最寄りの小さな寺社へも祈願参拝するようになったが、願いを聞き届けてもらいたい一心で、寒い冬でも下駄を脱ぎ裸足となり、冷たい敷石や土の上を往復した。
過去には手に100本のこよりをしっかり持って、参拝するごとに1本折り、回数を確認した。
一般には、百度参りは「お百度を踏む」といわれ、依頼事のために何度も足を運ぶことに転用されるようになったのである。
私が青年時代に加藤清正の寺である本妙寺でお百度参りをされている人を見かけたのが最後。最近ではお百度参りをする人を全く見なくなった。やはり時代なのだろう。
お百度参りは、ここぞというお願い事があるときに行うもの。
100回参拝すること自体、中途半端な気持ちではできないものです。 自分の時間と労力を費やしてでも叶えたいと強く願うときにお百度参りを行います。
大切な人の病気の治癒など、自分ではなく、人のためを想っての願い事は叶いやすいとされているようです。
本日は水曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょう。
本日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りいたしております。
鉄太郎。