音楽でも聴きながらご覧下さい。

おはようございます鉄太郎です。


昨日は朝方は雨が降っていましたが、私が仕事場へと向かう頃は雨が止みました。ですから傘を持っては行きませんでした。


昼間にパラパラ、夕刻にもパラパラと降ってましたが、傘はいりませんでした。


本日の予報は晴れの予報である。


さて、本日のお話は、日本の通信販売ルーツをご案内いたしましょう。


今や自宅にいながら、電話やインターネットオークション、Amazon(ふるさと納税にも参入)等によって買い物をする通信販売は、今や日用雑貨からハイテク商品まで、ありとあらゆる商品まで取り扱っています。


私が通信販売を利用したのは、ジャパネット高田でートパソコン・プリンターを購入したのが最初で最後である。


しかし、そのノートパソコンも1年もたたない時に液晶画面に線が入り、最終的にはお茶をパソコンに注ぎ破損したことを思い出す、


脱線しそうになったので元に戻すが、現在ではブログは携帯かiPadで入力しています。


日本で最初に通信販売された商品は意外なものだった。


津田仙(つだ せん)という農学者がいた。7月より新五千札の女性。


8歳で渡米して、後の女子英学塾(現在の津田塾大学)を創立した津田梅子の実の父親である。


1837年(天保8年)に、下総の国(現在の千葉県)の佐倉に生まれた津田仙は、30歳の時に福沢諭吉らと共に渡米。


帰国後、ホテルの理事となり異国の西洋野菜を導入し栽培して日本の農業への向上へと高めた。


1876年(明治9年)には学農舎農学校を創立して農業雑誌の創刊もした。


その創刊された中に下記のような広告を掲載した。


日本のトウモロコシは甘味が少ない。アメリカ産に比べてかなり品質的に劣る。


そこで弊社ではアメリカ産の高品質のトウモロコシの種を販売することにした。


そのことを皆さんにお知らせします。

値段は1袋10銭。現金をお送りいただくのが面倒な方は郵便印紙を同封してご注文下さい...と。


農業雑誌への掲載したものが最初の通信販売とされているのである。西洋野菜を研究して、日本の農業者向けへの通信販売を行った。


これが通販の第1号とされている。後にこの「農業雑誌」には数十種におよぶ野菜・果実の種苗の広告が掲載され、通信販売されている。


この種苗の通信販売は、地理的に入手しにくい農村部から歓迎され、明治20年代になると、種苗を通信販売する競争会社がたくさん出来た。


そして、明治30年代になると、日用品などさまざまな商品の通信販売が登場することになる。


当時の通信販売のカタログには、洋服・靴・時計・指輪・万年筆・双眼鏡・和服・尺八・タバコ入れ...等が掲載されている。


同時期には百貨店の「三越」「高島屋」等の各百貨店が通信販売に進出した。


手に入らないものが、商品として購入できるとあって、通信販売は古き日本人の心を掴んでいたようだ。


最近のテレビ通販を観ていると...テレビの通販は。


①限定。
②ギリギリ。
③お試し。
④特別。

⑤今回限り。(本日限り)


この①~⑤までの言葉が必ずと言って良いほど付く。

現在の日本人には響く言葉なのだろうか?

本日は水曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょう。


本日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りしております。


鉄太郎。